故事成語
中国の古典や歴史的事件に由来する、教訓を含んだ言葉。出典の物語とともに解説。
いたちごっこ
いたちごっこ
いたちごっことは、双方が互いに同じようなことを繰り返し、いつまでたっても決着がつかないこと。江戸時代の子供の遊び「いたちごっこ、ねずみごっこ」で、手を交互に重ねていく動作に終わりのないことに由来する。セキュリティ対策と攻撃者の関係などでよく使われる。
うなぎ登り
うなぎのぼり
うなぎ登りとは、物価、気温、人気、地位などが、急激に上昇することの例え。うなぎを掴もうとすると、ぬるぬると手から滑って上に逃げていく様子、あるいはうなぎが川を力強く遡る様子に由来するとされる。「評価がうなぎ登りだ」のように使う。
ゴルディアスの結び目
ごるでぃあすのむすびめ
ゴルディアスの結び目とは、誰も解くことができなかった複雑な結び目を、アレクサンダー大王が剣で一刀両断にして「解いた」ことにしたという伝説から、手に負えない難問を、常識にとらわれない大胆な方法や力技で一気に解決することの比喩。「難問」そのものを指す場合もある。実行力や決断力の象徴として使われることが多い。
コロンブスの卵
ころんぶすのたまご
コロンブスの卵とは、一見誰にでもできそうな簡単なことでも、最初にそれを行う(発想する)ことは非常に難しいという教訓。新大陸発見を祝う宴席で、「誰でも西に行けば大陸にぶつかる」と皮肉を言われたコロンブスが、卵を立てて見せるよう求め、誰もできなかった後、卵の底を潰して立てて見せたという逸話に由来する。逆転の発想やイノベーションの重要性を説く際によく引用される。
ダモクレスの剣
だもくれすのつるぎ
ダモクレスの剣とは、繁栄や幸福の最中にあっても、常に危険や破滅が隣り合わせであることの比喩。王の座を羨んだ家臣ダモクレスを、王が宴席に招き、頭上一本の髪の毛だけで吊るされた鋭い剣の下に座らせ、「王の権力は常に死と隣り合わせの危険にある」ことを悟らせたという逸話に由来する。一触即発の危機的状況などを表す。
どんぐりの背比べ
どんぐりのせいくらべ
どんぐりの背比べとは、どれも平凡で、似たり寄ったりであり、特に優れたものがいないことの例え。どんぐりはどれも大きさや形が大して変わらないことから。競い合ってはいるが、五十歩百歩で大差がない状況を、少し小馬鹿にして言う場合に使われる。
パンドラの箱
ぱんどらのはこ
パンドラの箱とは、開けてはいけないもの、触れてはいけない災いの種のこと。ギリシャ神話で、ゼウスがパンドラに持たせた箱(実のところは壺)を好奇心から開けてしまい、世界にあらゆる災厄(病気、嫉妬、憎悪など)が飛び散ったという物語に由来する。箱の底には唯一「希望」が残ったとされることから、絶望的な状況の中の希望を指すこともある。
ピュロスの勝利
ぴゅろすのしょうり
ピュロスの勝利とは、多大な犠牲を払って得た、採算の合わない勝利、実質的には敗北に等しい勝利のこと。古代ギリシャのピュロス王がローマ軍に勝利した際、自軍も壊滅的な損害を受け、「あと一度ローマ軍に勝てば、我々は全滅するだろう」と嘆いたという故事に由来する。ビジネスや訴訟などで、勝ったもののコストがかかりすぎて利益がない場合に使われる。
プロクルステスのベッド
ぷろくるすてすのべっど
プロクルステスのベッドとは、ギリシャ神話に登場する強盗プロクルステスの物語に由来する言葉で、基準や規則を無理やり適用し、現実に合わない場合でも強引に型にはめようとすることの比喩。プロクルステスは、旅人をベッドに寝かせ、体がはみ出せば足を切り落とし、足りなければ体を引っ張って伸ばし、ベッドの長さに合わせたという。杓子定規な対応や、本末転倒な規格統一への批判として使われる。
ルビコン川を渡る
るびこんがわをわたる
ルビコン川を渡るとは、後戻りできない重大な決断や行動をすることの比喩。古代ローマのカエサルが、国法を破って軍を率いルビコン川を渡り、ローマに進軍して内戦を開始した際、「賽(さい)は投げられた」と言った故事に由来する。背水の陣を敷く、不退転の決意で挑む、といった意味で使われる。
阿吽の呼吸
あうんのこきゅう
阿吽の呼吸(あうんのこきゅう)とは、二人以上の人が何かをする時に、微妙なタイミングや気持ちがぴったりと合うこと。「阿(あ)」は口を開く始まり、「吽(うん)」は口を閉じる終わり、つまり万物の初めと終わりを表す。相撲の立ち合いや、長年の相棒との連携などで使われる。
悪事千里を走る
あくじせんりをはしる
悪事千里を走るとは、悪い行いや悪い噂は、たちまち世間に知れ渡ってしまうという教訓。「千里」は非常に遠い距離のたとえ。良い行いはなかなか広まらないが、スキャンダルや不祥事は驚くべき速さで拡散することを戒めている。隠そうとしても無駄であるという警告の意味も含む。
葦の髄から天井を覗く
よしのずいからてんじょうをのぞく
葦の髄から天井を覗く(よしのずいからてんじょうをのぞく)とは、葦(あし)の茎の細い管を通して天井を見るように、極めて狭い視野で物事を見て、自分は全体を理解したと思い込むこと。転じて、極めて狭い見識で、大きな事柄を勝手に判断する愚かさの例え。「葦の髄」とも略す。
圧巻
あっかん
圧巻(あっかん)とは、書物や催し物の中で、最も優れている部分。「巻」は昔の試験の答案用紙。「圧」は他を押さえること。科挙の試験で、一番優れた答案を一番上に載せて、他の答案を圧したことに由来する。全体の中で一番の見どころや傑作を指す。
虻蜂取らず
あぶはちとらず
虻蜂取らず(あぶはちとらず)とは、虻(あぶ)と蜂(はち)の両方を捕まえようとして、結局どちらも捕まえられなかったということ。二つのものを同時に得ようと欲張ると、結局どちらも失敗するという教え。「二兎を追う者は一兎をも得ず」と同じ。
案ずるより産むが易し
あんずるよりうむがやすし
案ずるより産むが易し(あんずるよりうむがやすし)とは、出産前はあれこれ心配するが、産んでみれば案外あっさりと済むものである。転じて、実際にやってみるまでは不安や心配が大きいが、やってみると意外にたやすくできるということ。
為せば成る
なせばなる
為せば成るとは、どんなことでも、強い意志を持って努力すれば必ず成就するということ。上杉鷹山の「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」という歌が有名。やる気と実行力の重要性を説く、代表的な精神論・根性論の一つ。
衣食足りて礼節を知る
いしょくたりてれいせつをしる
衣食足りて礼節を知るとは、人は生活にゆとりができて初めて、礼儀や節度をわきまえるようになるということ。貧困で生活に追われている状態では、マナーや道徳を気にする余裕はない。管子の言葉。経済的な安定が、社会の秩序や道徳心につながるという考え。
井の中の蛙
いのなかのかわず
井の中の蛙大海を知らずとは、狭い世界に閉じこもって、広い世界のことを知らないこと。井戸の中にいる蛙は、空の狭さしか知らないことから。自分の知識や経験がすべてだと思い込み、世間知らずで視野が狭いことを戒めることわざ。
井の中の蛙大海を知らず
いのな種かわずたいかいをしらず
井の中の蛙大海を知らずとは、狭い井戸の中に住む蛙は、外に広い海があることを知らないことから、自分の狭い知識や見解にとらわれて、広い世界があることを知らないことのたとえ。世間知らずや、独りよがりな考え方を戒める言葉。後に日本で「されど空の深さ(青さ)を知る」という続きが付け加えられることもあるが、本来の中国の故事にはない。
一を聞いて十を知る
いちをきいてじゅうをしる
一を聞いて十を知るとは、物事のほんの一部を聞いただけで、全体を理解してしまうほど、非常に賢く察しが良いことのたとえ。孔子の弟子である顔回(がんかい)の聡明さを称えた言葉。「一」は始まり、「十」は終わりや全体を意味する。
一事が万事
いちじがばんじ
一事が万事(いちじがばんじ)とは、一つの小さな事柄を見れば、他のすべてのことが推測できるということ。「一事」は一つの行い、「万事」はすべてのこと。些細なミスや行動から、その人の性格や普段の生活態度全体が悪く評価される場合によく使われる。
一炊の夢
いっすいのゆめ
一炊の夢とは、人の世の栄華は儚いものであるというたとえ。一眠りしている間の短い夢。
一年の計は元旦にあり
いちねんのけいはがんたんにあり
一年の計は元旦にありとは、物事は最初が肝心であり、一年の計画は一年の初めである元旦に立てるべきだという教訓。何事も着手する前の準備や計画が成功の鍵を握ることを説いている。「一日の計は晨(あした)にあり」と続く言葉で、早めの計画と実行の重要性を強調する。
一網打尽
いちもうだじん
一網打尽(いちもうだじん)とは、一度網を打って、そこにいる魚を全部捕まえること。転じて、犯人や敵対勢力などを、一度にまとめて捕らえたり、全滅させたりすること。「悪の組織を一網打尽にする」のように、警察の検挙活動などで使われる四字熟語。
烏合の衆
うごうのしゅう
烏合の衆(うごうのしゅう)とは、規律も統制もなく、ただ寄り集まっただけの群衆のこと。「烏(カラス)」が集まっても団結力がないことから。数だけは多いが、訓練されておらず、役に立たない兵士や集団を指して蔑む言葉。
雨降って地固まる
あめふってじかたまる
雨降って地固まるとは、揉め事やトラブルがあった後は、かえって前よりも良い状態になり、基盤がしっかりするということ。雨が降ると地面はぬかるむが、乾いた後は以前より硬く締まることから。喧嘩した後に仲直りして絆が深まった時などによく使われる。
嘘も方便
うそもほうべん
嘘も方便とは、嘘をつくことは悪いことだが、時と場合によっては、物事を円滑に進めるために必要な手段(方便)になることがあるということ。「嘘も追従(ついしょう)も世渡り」とも言う。相手を傷つけないための「優しい嘘」などを肯定的に捉える言葉。
瓜の蔓に茄子はならぬ
うりのつるになすびはならぬ
瓜の蔓に茄子はならぬ(うりのつるになすびはならぬ)とは、瓜の蔓には瓜しか実らず、茄子がなることはない。転じて、平凡な親からは非凡な子供は生まれないということ。また、原因なしに結果は生じないという意味でも使われる。
瓜田の履
かでんのくつ
瓜田の履とは、人に疑われるような紛らわしい行動は避けるべきだという教え。「瓜田に履を納れず」の略。
噂をすれば影がさす
うわさをすればかげがさす
噂をすれば影がさすとは、人の噂話をしていると、ちょうどその当人が現れるものだということ。ここから転じて、不在の人の批判や悪口は慎むべきだという戒めとしても使われる。「ハリー・ポッター」の「名前を言ってはいけないあの人」的な意味ではない。
雲泥の差
うんでいのさ
雲泥の差(うんでいのさ)とは、雲(天)と泥(地)のように、二つのものの間に非常に大きな隔たりや違いがあること。比較にならないほど差がある状態。「月とスッポン」や「天地の差」と同義。実力、待遇、品質などを比較する際によく使われる。
猿も木から落ちる
さるもきからおちる
猿も木から落ちるとは、木登りが上手な猿でも、時には失敗して落ちることがあるということ。どんなに優れた名人や達人であっても、時には失敗することがあるという例え。「弘法にも筆の誤り」や「河童の川流れ」と同じ意味。
縁の下の力持ち
えんのしたのちからもち
縁の下の力持ちとは、目立たないところで他人のために苦労や努力をする人のこと。家の土台(縁の下)は見えないが、家全体を支える重要な役割であることから。表舞台には出ないが、プロジェクトや組織を支える不可欠な人材を指す。
縁木求魚
えんぼくくぎょ
縁木求魚(えんぼくきゅうぎょ)とは、方法や手段を間違えていては、目的を達成することは不可能であるという例え。木によじ登って魚を探しても見つかるはずがないことから。「畑違いのことをする」「見当違いの努力をする」という意味で使われる四字熟語。
岡目八目
おかめはちもく
岡目八目(おかめはちもく)とは、当事者よりも、脇で見ている第三者の方が、物事の情勢や善し悪しを正しく判断できるということ。囲碁を脇から見ていると、対局者よりも八目先まで手が読めることから。客観的な視点を持つことの重要性を説く言葉。「傍目八目」とも書く。
屋上屋を架す
おくじょうおくをかす
屋上屋を架す(おくじょうおくをかす)とは、屋根の上にさらに屋根をかけるような、無駄なことをする例え。「屋下(おくか)に屋を架す」とも言う。必要のない重複や、無意味な繰り返しを戒める言葉。文章や組織などで、あっても邪魔なだけのものを指す。
温故知新
おんこちしん
温故知新(おんこちしん)とは、昔のことをよく調べて学び、そこから新しい知識や見解を得ること。「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」。過去の歴史や先人の知恵を単なる知識として終わらせず、現代の課題解決や未来の創造に活かす姿勢を説く論語の言葉。
下手の横好き
へたのよこずき
下手の横好きとは、下手なくせに、そのことが好きで熱心であること。上手くはないが、本人は楽しんでやっている様子を指す。謙遜して「下手の横好きでゴルフをやっております」のように使うこともあれば、嘲笑の意味で使われることもある。
可愛い子には旅をさせよ
かわいいこにはたびをさせよ
可愛い子には旅をさせよとは、子供が可愛ければ、甘やかすのではなく、あえて辛い旅に出して世の中の厳しさを経験させるべきだという教え。親元に置いておくよりも、苦労させたほうが子供の自立心や精神的な成長を促し、将来のためになるということ。
果報は寝て待て
かほうはねてまて
果報は寝て待てとは、幸運(果報)は人間の力だけでどうにかなるものではないので、焦らずに自然の成り行きに任せて待つのが良いという教え。「寝て待て」といっても怠けていれば良いわけではなく、やるべきことをやった後は、余計な心配をせずに堂々と時期を待てという意味が含まれる。
河童の川流れ
かっぱのかわながれ
河童の川流れとは、泳ぎの名手である河童でも、水流に押し流されてしまうことがあるという例え。どんなに達人や名人であっても、油断をしたりして失敗することがあるということ。「猿も木から落ちる」や「弘法にも筆の誤り」と同じ意味。
花より団子
はなよりだんご
花より団子とは、風流な外見(花)よりも、実質的な利益(団子)を重んじることの例え。また、風流を解さない無粋な人をあざけって言う言葉。お花見に行っても、桜を見るより団子を食べる方が楽しみだという庶民の心理を表す。「色気より食い気」。
苛政猛虎
かせいもうこ
苛政は虎よりも猛なり(かせいはとらよりももうなり)とは、過酷な政治や重税は、人を食い殺す虎よりも恐ろしい災いをもたらすということ。「苛政猛虎」とも略される。為政者の横暴は、民衆にとって命の危険である野獣(自然の脅威)以上に耐え難いものであるという、政治への強烈な批判と戒めを含んだ言葉。
過ぎたるは猶及ばざるが如し
すぎたるはなおおよばざるがごとし
過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)とは、何事もやりすぎ(過剰)なのは、足りない(不足)のと同じくらい良くないということ。中庸(ちゅうよう)の大切さを説く言葉。「猶(なお)」は「あたかも〜と同じだ」という意味。
画餅
がべい
画餅(がべい:絵に描いた餅)とは、計画などが理屈の上では立派だが、実際には役に立たないことの例え。どんなに美味しそうに見えても、絵に描いた餅は食べられないことから。実現不可能なプランや、中身のない見かけ倒しの提案を批判する言葉。
快刀乱麻
かいとうらんま
快刀乱麻を断つ(かいとうらんまをたつ)とは、もつれた麻糸(乱麻)を鋭い刀(快刀)でスパッと断ち切るように、こじれた問題や紛糾した事態を、鮮やかに、手際よく解決することの例え。「ゴルディアスの結び目」の故事に近い。
海老で鯛を釣る
えびでたいをつる
海老で鯛を釣るとは、わずかな元手や労力で、大きな利益を得ることの例え。「海老」は安価な餌、「鯛」は高価な魚の代表。「エビ鯛」と略されることもある。投資対効果(ROI)が非常に高いことの慣用表現。「麦飯で鯉を釣る」とも言う。
蛙の子は蛙
かえるのこはかえる
蛙の子は蛙とは、子供は親に似るものであり、凡人の子はやはり凡人であるということ。「トンビがタカを産む(平凡な親から優秀な子が生まれる)」の対義語。才能や性格は環境よりも血筋に左右されるという諦めや、身の丈に合った生き方を説く意味もある。
蛙の面に水
かえるのつらにみず
蛙の面に水とは、どんな仕打ちを受けても、全く平気でいること。蛙の顔に水をかけても、平然としていることから。厚かましい人や、恥知らずな人、あるいは何を言われても動じない図太い神経の持ち主を指す。「暖簾に腕押し」とは異なり、こちらは「本人が気にしない」という意味。
隔靴掻痒
かっかそうよう
隔靴掻痒(かっかそうよう)とは、靴の上から痒いところをかくように、物事の核心に触れられず、もどかしいこと。「隔靴」は靴を隔てること、「掻痒」は痒いところをかくこと。思うようにならず、じれったい状態や、表現が的確でなく理解しづらい状況を指す。
楽あれば苦あり
らくあればくあり
楽あれば苦ありとは、人生において、楽しいことがあれば、その後には必ず苦しいこともあるということ。逆に「苦あれば楽あり」とも言い、良いことばかりも悪いことばかりも続かない、人生は浮き沈みがあるものだという教訓。
鴨が葱を背負って来る
かもがねぎをしょってくる
鴨が葱を背負って来るとは、美味しい鴨汁を作るのに必要な葱まで持ってくるということで、好都合なこと、おあつらえ向きなことの例え。「カモネギ」。また、利用しやすいターゲット(カモ)が、こちらの望む利益(ネギ)を持ってやってくる、という意味でも使われる。
乾坤一擲
けんこんいってき
乾坤一擲(けんこんいってき)とは、運命をかけた大勝負をすること。「乾坤」は天と地、「一擲」はサイコロを一度投げること。のるかそるか、天下を手に入れるか失うか、そのすべてを天運に任せて思い切って勝負に出るさま。
完璧
かんぺき
完璧(かんぺき)とは、欠点が全くなく、完全無欠であること。傷のない完全な宝玉(璧)を、隣国から無事に持ち帰った藺相如(りんしょうじょ)の故事(完璧)に由来する。「璧」はドーナツ型の玉器のことで、「壁(かべ)」と書くのは誤り。
管鮑の交わり
かんぽうのまじわり
管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)とは、互いによく理解し合い、利害を超えて信頼し合っている極めて親密な友情のこと。中国の管仲と鮑叔牙の故事に由来する。成功も失敗も分かち合い、相手の才能を信じて支え合う理想的な友人関係。
肝胆相照らす
かんたんあいてらす
肝胆相照らす(かんたんあいてらす)とは、肝臓や胆嚢といった体の中身を見せ合うほどに、互いに心の底まで打ち明けて親しく付き合うこと。隠し事がなく、心から信頼し合っている真の友情の例え。「肝胆」は心の奥底や真心のこと。「肝胆相照らす仲」のように使う。
関の山
せきのやま
関の山(せきのやま)とは、一生懸命やっても、それが精一杯であること。限界、限度。三重県の関宿の山車(だし)が、あまりに立派すぎて山を越えられなかったことに由来するという説がある。「頑張っても、せいぜいこれくらいが関の山だ」と、能力の限界を指して使う。
韓信の股くぐり
かんしんのまたくぐり
韓信の股くぐりとは、将来に大志を抱く者は、目前の些細な恥辱もじっと我慢して耐えるべきだという教え。漢の三傑の一人・韓信が、若い頃に町の若者に絡まれた際、剣を抜いて戦わず、相手の股をくぐってその場をやり過ごし、後に大将軍になったという故事に由来する。
眼光紙背
がんこうしはい
丸紅(がんこうしはい)とは、顔色が若々しく、白髪の老人のこと。元気な高齢者。「顔(がん)」は顔色、「厚(こう)」は若々しいこと(ここでは「紅」の誤りではなく意訳)。転じて、老人を敬って呼ぶ言葉。長寿を祝う際などに使われる四字熟語。
危機一髪
ききいっぱつ
危機一髪(ききいっぱつ)とは、髪の毛一本ほどのわずかな差で、極めて危険な状態になりそうなこと。「一髪」は髪の毛一本の隙間。あわや大惨事という寸前で助かった場合などに、「危機一髪で助かった」のように使う。「危機一発」と書くのは誤り。
危急存亡
ききゅうそんぼう
危急存亡の秋(ききゅうそんぼうのとき)とは、生きるか死ぬか、存続するか滅びるかという、極めて危険で重要な瀬戸際のこと。「秋」は重要な時期、ときという意味。組織や国家の命運がかかっているような、重大なピンチを指して使われる表現。
奇貨居くべし
きかおくべし
奇貨居くべし(きかおくべし)とは、珍しい品物や絶好の機会は、逃さずに捉えて利用すべきだということ。「奇貨」は珍しい財宝。秦の始皇帝の父(子楚)を助けた呂不韋が、彼を「奇貨(将来価値が出る人物)」と見込んで投資し、後に権力を得た故事から。
起死回生
きしかいせい
起死回生(きしかいせい)とは、絶望的な危機的状況から、一気に勢いを盛り返すこと。「死にかかった人を生き返らせる」ような、奇跡的な挽回を指す。スポーツやビジネスで、敗色濃厚な場面から大逆転する際によく使われる四字熟語。
鬼に金棒
おににかなぼう
鬼に金棒とは、ただでさえ強い者が、さらに武器を得て最強になることの例え。強い鬼に金棒を持たせれば、敵う相手はいなくなることから。実力者がさらに有利な条件を得て、無敵の状態になることを指す。「虎に翼」や「弁慶に薙刀」と同じ意味。
鬼の居ぬ間に洗濯
おにのいぬまにせんたく
鬼の居ぬ間に洗濯とは、怖い人や気兼ねする人がいない間に、ここぞとばかりにくつろいで、気晴らしをすることの例え。「洗濯」は命の洗濯(リフレッシュ)の意味。上司や親が出かけている間に、羽を伸ばしてのんびりする様子を指す。
蟻の穴から堤の崩れ
ありのあなからつつみのくずれ
蟻の穴から堤の崩れ(ありのあなからつつみのくずれ)とは、堅牢な巨大な堤防であっても、小さな蟻が開けた些細な穴がきっかけとなって、ついには崩壊してしまうことから、ごくわずかな油断や不注意、あるいは些細な欠陥が原因で、大きな失敗や大事故につながることのたとえ。「千丈の堤も蟻の一穴(いっけつ)から」とも言う。ハインリッヒの法則や割れ窓理論にも通じる教訓。
逆鱗
げきりん
逆鱗に触れる(げきりんにふれる)とは、目上の人の激しい怒りを買うこと。伝説上の龍(竜)の喉元には、一枚だけ逆さまに生えている鱗(逆鱗)があり、これに触れると龍は激怒して人を殺してしまうという『韓非子』の説話に由来する。普段は温厚な人でも、絶対に触れてはいけないタブーがあるという戒め。
急がば回れ
いそがばまわれ
急がば回れとは、急いでいる時ほど、危険な近道を行くよりも、遠回りでも安全で確実な道を通った方が、結局は早く目的地に着けるということ。琵琶湖を渡る船(速いが危険)よりも、陸路(遠いが安全)を行けという歌に由来する。安易な方法よりも着実な手段を選ぶべきという教え。
泣きっ面に蜂
なきっつらにはち
泣きっ面に蜂とは、悪いことが起きている時に、さらに悪いことが重なることの例え。泣いて腫れた顔を、さらに蜂が刺すことから。「弱り目に祟り目」や「一難去ってまた一難」と同じ意味。不幸や災難が連続して起こる状況を表すことわざ。
窮鼠猫を噛む
きゅうそねこをかむ
窮鼠猫を噛む(きゅうそねこをかむ)とは、弱いネズミでも、追い詰められて逃げ場がなくなれば、天敵の猫に噛みついて反撃する。転じて、弱者も絶体絶命の窮地に立てば、必死になって強者に反抗することの例え。追い詰めすぎることへの戒め。
牛耳る
ぎゅうじる
牛耳る(ぎゅうじる)とは、団体や組織の中心となって、自分の思い通りに支配すること。古代中国で、諸侯が盟約を結ぶ際、盟主が牛の耳を割いて血をすすった儀式に由来する。「組織を牛耳る」「業界を牛耳る」のように、権力を握って操るさまを指す。
牛耳を執る
ぎゅうじをとる
牛耳を執る(牛耳る)とは、組織や団体を支配し、思うままに動かすこと。主導権を握ること。
漁夫の利
ぎょふのり
漁夫の利(ぎょふのり)とは、二者が争っている隙に、第三者が苦労せずに利益を横取りすること。シギとハマグリが争っているところを、漁師が両方とも捕まえてしまったという故事に由来する。無益な争いを戒めたり、第三者の介入を警告したりする際に使われる。
郷に入っては郷に従え
ごうにいってはごうにしたがえ
郷に入っては郷に従えとは、新しい土地や環境に入ったら、そこでの習慣ややり方に素直に従うべきだという教え。自分のこれまでの常識ややり方を押し通すのではなく、その場のルールや文化を尊重することで、人間関係が円滑になり、トラブルを避けられるということ。
九牛の一毛
きゅうぎゅうのいちもう
九牛の一毛(きゅうぎゅうのいちもう)とは、非常に多くのものの中にある、ほんのわずかな部分のこと。たくさんの牛の毛の中のたった一本。「大したことではない」「取るに足らない損失」といった意味で、全体から見れば微々たるものであることを表す。
九死に一生を得る
きゅうしにいっしょうをえる
九死に一生を得るとは、ほとんど助かる見込みのない絶望的な状況(九死)から、かろうじて助かる(一生)こと。交通事故や災害などで、奇跡的に生還した際によく使われる言葉。「十中八九」死ぬはずの運命を覆した幸運を表す。
苦肉の策
くにくのさく
苦肉の策(苦肉の計)とは、苦しまぎれに考え出した手段。敵をあざむくために、あえて自分の身を傷つけて苦しむ姿を見せる計略。「苦肉」は自分の肉体を痛めつけること。兵法三十六計の一つ。転じて、追い詰められて仕方なくとった一時しのぎの手段を指す。
君子豹変
くんしひょうへん
君子豹変(くんしひょうへん)とは、立派な人物(君子)は、自分の過ちに気づけばすぐに改め、態度や考えをがらりと良い方向に変えるということ。現代では誤用され、「主張がころころ変わる節操のない人」という悪い意味で使われることが多いが、本来は褒め言葉。
経世済民
けいせいさいみん
経世済民(けいせいさいみん)とは、世の中をよく治めて、人々を苦しみから救うこと。「経済」という言葉の語源。本来は政治や統治のあり方を指す言葉であり、単なる金銭のやり取りだけでなく、社会全体の幸福を追求するという深い意味が込められている。
継続は力なり
けいぞくはちからなり
継続は力なりとは、地味で小さな努力でも、長く続けていればやがて大きな成果につながるということ。また、物事を成し遂げるには、途中でやめずに続けることが何より重要であるという教え。学習やスポーツ、ビジネスなど、あらゆる分野で引用される格言。
蛍雪の功
けいせつのこう
蛍雪の功(けいせつのこう)とは、苦労して学問に励んだ成果のこと。中国の晋の時代、貧しくて灯油が買えなかった二人の青年が、それぞれ蛍の光や雪の反射で書物を照らして勉強し、出世したという故事に由来する。「蛍雪」は苦学することの象徴。
鶏口牛後
けいこうぎゅうご
鶏口牛後(けいこうぎゅうご)とは、大きな組織の末端に従うよりも、小さな組織のトップになった方がよいという教え。「鶏口」は鶏の口(小さな団体の長)、「牛後」は牛の尻(大きな団体の下っ端)。独立心や起業家精神を奨励する言葉として使われる。
鶏鳴狗盗
けいめいくとう
鶏鳴狗盗(けいめいくとう)とは、つまらない技能(ニワトリの鳴き真似や、犬のようなこそ泥)を持つ人であっても、使いようによっては絶体絶命のピンチを救う役に立つことのたとえ。また、どのような能力も粗末にしてはいけないという「適材適所」や「多様性」の重要性を説く教訓としても使われる。
月下氷人
げっかひょうじん
月下氷人とは、男女の縁を取り持つ人。仲人(なこうど)のこと。
捲土重来
けんどちょうらい
捲土重来(けんどちょうらい)とは、一度敗れたり失敗したりした者が、再び勢力を盛り返して巻き返すこと。「捲土」は土煙を巻き上げること。「重来」は再びやってくること。リベンジを果たし、以前にも増して勢いよく復活・再起することの例え。
犬も歩けば棒に当たる
いぬもあるけばぼうにあたる
犬も歩けば棒に当たるとは、物事を行えば、思わぬ災難に遭うことがあるというたとえ。あるいは逆に、出歩けば思わぬ幸運に出会うこともあるという意味で使われることもある(現代では後者の意味も多い)。「棒」は棒で叩かれるような災難のこと。江戸いろはかるたの「い」。
犬馬の労
けんばのろう
犬馬の労(けんばのろう)とは、主君や組織のために、犬や馬のように体を使って精一杯尽くすこと。自分の働きをへりくだって言う言葉。「微力ながら、犬馬の労を執らせていただきます」のように、目上の人に対して忠誠を誓う際に使われる。
枯れ木も山なりの賑わい
かれきもやまのにぎわい
枯れ木も山なりの賑わい(かれきもやまのにぎわい)とは、枯れた木であっても、ないよりは山の景色を賑やかにするのに役立つ。転じて、つまらないものでも、ないよりはマシであること。また、人が集まればそれなりに見栄えがすること。
胡蝶の夢
こちょうのゆめ
胡蝶の夢とは、夢と現実の区別がつかないことや、人生の儚さのたとえ。荘子が蝶になった夢を見て、目覚めたときに「蝶になった夢を見ていたのか、今の私が蝶の夢なのか」と疑った故事から。
虎の威を借る狐
とらのいをかるきつね
虎の威を借る狐とは、他人の権力を利用して偉そうに振る舞う小物の例え。狐が虎の後ろを歩いて、他の動物たちが虎を恐れて逃げるのを「自分を恐れている」と勘違いさせた(あるいは虎に見せつけた)故事に由来する。有力者の腰巾着などを揶揄する言葉。
虎の巻
とらのまき
虎の巻(とらのまき)とは、芸事や秘伝の奥義が書かれた書物のこと。兵法の「六韜(りくとう)」の中の「虎巻」に由来する。転じて、教科書のガイドブックや、試験対策の要点がまとめられた参考書(アンチョコ)を指すこともある。
虎穴に入らずんば虎子を得ず
こけつにいらずんばこじをえず
虎穴に入らずんば虎子を得ずとは、危険を冒さなければ、大きな成功や利益は得られないという例え。虎の住む穴に入らなければ、虎の子は捕まえられないことから。リスクを取って挑戦することの重要性を説くことわざ。後漢の班超の言葉。
五十歩百歩
ごじっぽひゃっぽ
五十歩百歩(ごじゅっぽひゃっぽ)とは、多少の違いはあっても、本質的には変わらないこと。戦場で50歩逃げた者が、100歩逃げた者を「臆病者」と笑った故事から。どんぐりの背比べ。目くそ鼻くそ。低いレベルでの比較に使われることが多い。
五里霧中
ごりむちゅう
五里霧中(ごりむちゅう)とは、深い霧の中で方角がわからなくなるように、物事の手がかりがつかめず、どうしていいか分からずに途方に暮れること。「五里」にわたる深い霧の中にいるという故事から。将来が見通せず、迷っている状態を指す四字熟語。
呉越同舟
ごえつどうしゅう
呉越同舟(ごえつどうしゅう)とは、仲の悪い者同士が、同じ場所にいたり、共通の困難に対して協力し合ったりすること。中国の春秋時代、敵対していた呉の国の人と越の国の人が、同じ船に乗り合わせ、嵐に遭って互いに助け合ったという故事に由来する。
後の祭り
あとのまつり
後の祭りとは、時期を逃してしまって、後悔しても手遅れであること。祭りが終わった後の山車(だし)や神輿(みこし)は、誰も見向きもしないことから。チャンスを逃した後に慌てて騒いでも意味がない、という諦めや自嘲の意味で使われる。
後悔先に立たず
こうかいさきにたたず
後悔先に立たずとは、すでに終わってしまったことを後から悔やんでも、取り返しがつかないということ。事前にしっかりと準備や検討をすべきであるという教訓を含む。「覆水盆に返らず」と似ているが、こちらは「悔やんでも遅い」という心情に焦点がある。
後顧の憂い
こうこのうれい
後顧の憂い(こうこのうれい)とは、あとに残した家族や物事についての心配事。後ろ髪を引かれるような気掛かり。「後顧」は後ろを振り返ること。これを取り除くことで、安心して前進したり、戦いに専念したりできる。「後顧の憂いを断つ」のように使う。
後塵
こうじん
後塵を拝す(こうじんをはいす)とは、他人の権勢の下に従うこと。また、競争相手に遅れを取ること。「後塵」は先に行く人の馬車が巻き上げる土煙。相手の後ろを走り、土煙を浴びる(拝む)しかない状態から、実力差を見せつけられて負けることを指す。
光陰矢の如し
こういんやのごとし
光陰矢の如しとは、月日が経つのは、放たれた矢のように非常に早いものであるということ。「光」は日、「陰」は月で、時間を表す。一度過ぎ去った時間は二度と戻らないので、時間を無駄にせず、一日一日を大切に過ごすべきだという教訓が含まれている。
口は災いの元
くちはわざわいのもと
口は災いの元とは、うっかり話した言葉が、思いがけない災難やトラブルを引き起こす原因になるということ。言葉は慎むべきだという戒め。「口は災いの門(かど)」とも言う。不用意な発言や失言、悪口などが自分を苦しめることになるという教訓。
喉元過ぎれば熱さを忘れる
のどもとすぎればあつさをわすれる
喉元過ぎれば熱さを忘れるとは、苦しいことや辛いことも、過ぎ去ってしまえば、その苦しさをすっかり忘れてしまうということ。また、苦境にある時は助けを請うが、楽になると受けた恩を忘れてしまうことの戒めとしても使われる。
好きこそものの上手なれ
すきこそもののじょうずなれ
好きこそものの上手なれとは、誰でも好きなことには熱心になり、工夫や努力を惜しまないので、自然と上達が早いということ。嫌々やっても身につかないが、楽しみながらやれば成長するという意味。習い事や仕事において、興味や関心を持つことの重要性を説く。
弘法にも筆の誤り
こうぼうにもふでのあやまり
弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)とは、書道の達人である弘法大師(空海)でさえ、書き損じることがある。転じて、どんなに優れた人でも、時には失敗することがあるという例え。「猿も木から落ちる」と同じ。
弘法も筆の誤り
こうぼうもふでのあやまり
弘法も筆の誤りとは、どんなに優れた名人や達人でも、時には失敗することがあるという例え。「猿も木から落ちる」「河童の川流れ」と同じ意味。書道の達人である弘法大師(空海)でも、字を書き間違えることがあるという故事に由来する。
弘法筆を選ばず
こうぼうふでをえらばず
弘法筆を選ばずとは、本当の名人は道具の善し悪しにかかわらず、立派な仕事を成し遂げるということ。書道の達人である弘法大師(空海)は、どんな筆でも見事な字を書いたという言い伝えから。実力不足を道具のせいにする者を戒めるときにも使われる。
糠に釘
ぬかにくぎ
糠に釘(ぬかにくぎ)とは、柔らかい糠に釘を打つように、何の手応えもなく効き目がないことの例え。意見や忠告をしても、相手が全く反応せず、張り合いがない様子。「暖簾に腕押し」や「豆腐にかすがい」と同じ意味で、徒労感を伴う場合に使う。
紅一点
こういってん
紅一点(こういってん)とは、多くの男性の中に、ただ一人だけ女性がいること。万緑叢中紅一点(一面の緑の草むらの中に、赤い花が一輪だけ咲いている)という王安石の詩に由来する。古くは、多くの平凡なものの中に一つだけ優れたものがあるという意味でも使われた。
合従連衡
がっしょうれんこう
合従連衡(合従連行)とは、利害に応じて団結したり離れたりする外交上の駆け引きのこと。転じて、企業同士の提携や合併の動きを指す。
刻舟求剣
こくしゅうきゅうけん
刻舟求剣とは、昔のやり方を頑なに守って、時代の変化に対応できない愚かさのたとえ。
国士無双
こくしむそう
国士無双(こくしむそう)とは、国中で並ぶ者がいないほど優れた人物のこと。「国士」は国一番の傑出した人物、「無双」は二つとないこと。漢の武将・韓信を称えた言葉。麻雀の役満の一つとしても有名だが、本来は天下の大英雄を指す言葉。
砂上の楼閣
さじょうのろうかく
砂上の楼閣(さじょうのろうかく)とは、見かけは立派だが、基礎がもろくて長く維持できない物事の例え。崩れやすい砂の上に建てられた高い建物という意味。実現不可能な計画や、根拠の薄弱な理論などを批判する際に使われる。
塞翁が馬
さいおうがうま
塞翁が馬(さいおうがうま)とは、人生の幸不幸は予測できず、良いことが悪いことの原因になったり、逆に悪いことが良い結果を生んだりするということ。中国の故事で、逃げた馬が駿馬を連れて帰ってきたが、その息子が落馬して骨折し、その怪我のおかげで戦争に行かずに済んだ話に由来する。
災い転じて福と為す
わざわいてんじてふくとなす
災い転じて福となすとは、身に降りかかった災難や不幸を、自分の知恵や努力で活用し、逆に幸福になるような結末に変えること。失敗やピンチをチャンスに変えるポジティブな姿勢を表す言葉。単に運が良かっただけでなく、災難をバネにする能動的な意味合いが含まれる。
三顧の礼
さんこのれい
三顧の礼(さんこのれい)とは、目上の人が、格下の有能な人物に対して、礼儀を尽くして仕事を頼むこと。劉備が諸葛亮(孔明)を迎えるために、三度も彼の草庵(家)を訪ねたという「三国志」の故事に由来する。人材登用のあり方として知られる。
三人寄れば文殊の知恵
さんにんよればもんじゅのちえ
三人寄れば文殊の知恵とは、凡人でも三人集まって相談すれば、素晴らしい知恵(文殊菩薩のような知恵)が出るものだという教え。「文殊」は知恵の神様。一人で悩まずに、みんなで協力して考えれば良い解決策が見つかることを奨励する言葉。
三人成虎
さんにんせいこ
三人成虎とは、事実無根のことでも、多くの人が言えば真実として信じられてしまうというたとえ。
三度目の正直
さんどめのしょうじき
三度目の正直とは、一度や二度は失敗しても、三度目には期待通りの結果が出るということ。諦めずに挑戦することの大切さを説く言葉。逆に、三度やってもダメなら諦めろという意味の「二度あることは三度ある」という言葉もあり、状況によって使い分けられる。
三日坊主
みっかぼうず
三日坊主(みっかぼうず)とは、非常に飽きっぽくて、何事も長続きしない人のこと。修行の厳しさに耐えられず、たった三日で僧侶(坊主)を辞めて俗世に帰ってしまった人に例えた言葉。決心してもすぐに挫折してしまう様子を自嘲したり、他人を揶揄したりする際に使われる。
酸っぱい葡萄
すっぱいぶどう
酸っぱい葡萄(Sour Grapes)とは、手に入れたくても手に入らないものを、負け惜しみで「価値のないもの」だと決めつけて、自分を正当化する心理(合理化)。イソップ寓話の「狐と葡萄」に由来する。認知的不協和の解消例として心理学で引用される。
残り物には福がある
のこりものにはふくがある
残り物には福があるとは、人が取り残した物や、最後に残った物の中には、思いがけず良い物が含まれているということ。先を争って取るのを戒めたり、最後になってしまった人を慰めたりする際に使われることわざ。「余り物に値(あたい)千両」とも言う。
四面楚歌
しめんそか
四面楚歌(しめんそか)とは、周りをすべて敵や反対者に囲まれ、完全に孤立して助けがない状態。「項羽と劉邦」の戦いで、項羽軍が漢軍に包囲された際、四方から故郷の楚の歌が聞こえ、味方がすでに降伏したと絶望した故事に由来する。
獅子身中の虫
しししんちゅうのむし
獅子身中の虫(しししんちゅうのむし)とは、組織や集団の内部にいながら、その組織に害をなす者のこと。ライオン(獅子)の体内に寄生して、ついには獅子を死に至らしめる虫の例えから。外部の敵よりも恐ろしい内部の裏切り者や、恩を仇で返す者を指す。
飼い犬に手を噛まれる
かいいぬにてをかまれる
飼い犬に手を噛まれる(かいいぬにてをかまれる)とは、日頃から面倒を見たり可愛がったりしていた者から、思いがけず裏切られたり、害を加えられたりすることの例え。恩を仇で返されること。自分の身内や部下など、信頼していた相手からの裏切り行為に対して使われる言葉であり、油断していたことへの悔しさやショックを表すニュアンスが強い。
事実は小説よりも奇なり
じじつはしょうせつよりもきなり
事実は小説よりも奇なりとは、現実に起こる出来事は、作家が想像で作った小説よりも、時として波乱に富み、不思議で意外なものであるということ。英国の詩人バイロンの言葉。信じられないような偶然やドラマチックな実話を指して使われる。
時は金なり
ときはかねなり
時は金なり(ときはかねなり)とは、時間は金銭と同じくらい、あるいはそれ以上に貴重なものであるから、一瞬たりとも無駄にしてはいけないという教え。アメリカの政治家・物理学者であるベンジャミン・フランクリンの格言「Time is money」の和訳。ビジネスにおいては、時間の浪費は機会費用の損失(コスト)であるという効率性の観点からも重視される。単に急ぐことだけでなく、時間を有効に投資すべきという意味も含む。
鹿を指して馬と為す (馬鹿)
しかをさしてうまとなす
鹿を指して馬と為すとは、権力を笠に着て、間違ったことを無理やり押し通すこと。また、目上の人の顔色を伺って、自分の意見を言わずに追従すること。
失敗は成功のもと
しっぱいはせいこうのもと
失敗は成功のもととは、失敗してもその原因を反省し、改善することで、後の成功につなげることができるということ。失敗は無駄ではなく、成功に至るための貴重な経験やプロセスの一部であるというポジティブな教訓。エジソンの逸話などが有名。
捨てる神あれば拾う神あり
すてるかみあればひろうかみあり
捨てる神あれば拾う神ありとは、世の中は様々で、見捨てられることがあっても、一方で助けてくれる人も必ずいるということ。不運な目に遭ったり、誰かから見放されたりしても、悲観する必要はないという慰めや励ましの言葉。
蛇に睨まれた蛙
へびににらまれたかえる
蛇に睨まれた蛙とは、自分よりはるかに強い相手や恐ろしい相手を前にして、極度の恐怖で体がすくみ上がり、動けなくなってしまう様子の例え。「蛇(へび)」はもともと「蛙(かえる)」の天敵であることから。絶対的な力量差に萎縮する状態を指す。
蛇足
だそく
蛇足(だそく)とは、余計なもの、無駄な行為の例え。蛇の絵を早く描く競争で、最初に描き終えた男が、余裕を見せて蛇に足を描き足したために負けてしまったという故事に由来する。あっても益がなく、かえって全体を台無しにしてしまう余分な付け足しのこと。
釈迦に説法
しゃかにせっぽう
釈迦に説法とは、自分よりもはるかに詳しく、実力のある相手に対して、愚かにも教えを説こうとすることの例え。お釈迦様に仏教の教えを解くようなもの。「猿に木登り」や「河童の川流れ」と似ているが、こちらは「教えようとする行為」の愚かさを戒める言葉。
弱り目に祟り目
よわりめにたたりめ
弱り目に祟り目とは、不運や災難にあって困っている時に、さらに別の災難が重なること。「泣きっ面に蜂」と同じ意味。「祟り目」は神仏の祟り(たたり)にあうこと。踏んだり蹴ったりで、どうしようもない状況を嘆く言葉。
守株
しゅしゅ
収取(しゅうしゅ)とは、集め取ること。特に、国が国民から租税などを取り立てることや、警察などの公的機関が証拠となる物を集めることを指す。「証拠収取」のように使われる法律・行政用語。日常会話ではあまり使われず、「収集」の方が一般的。
朱に交われば赤くなる
しゅにまじわればあかくなる
朱に交われば赤くなる(しゅにまじわればあかくなる)とは、朱色(赤色の顔料)の中に混ざると、自然と赤く染まってしまうことから、人は関わる仲間や環境によって、良くも悪くも影響を受けて変わってしまうという教え。特に、悪い友人と付き合うと、自分も悪い人間になってしまうという戒めとして使われることが多い。「水は方円の器に従う」と同様に、人間の性質は環境に強く左右されることを示している。
酒池肉林
しゅちにくりん
酒池肉林(しゅちにくりん)とは、酒を池のように満たし、肉を林のように吊るした、極めて贅沢で豪遊する宴会のこと。古代中国の殷の紂王(ちゅうおう)が行ったとされる。「肉林」は肉体ではなく食用の肉を指す。転じて、豪奢を尽くした乱痴気騒ぎを指す。
習うより慣れろ
ならうよりなれろ
習うより慣れよとは、人に教わったり本で読んだりするよりも、実際に自分でやってみて、経験を積んで慣れる方が、物事の習得は早いということ。理屈よりも実践の重要性を説くことわざ。スポーツや語学、仕事のスキルなどに当てはまる。
住めば都
すめばみやこ
住めば都とは、どんなに辺鄙な場所や不便な土地であっても、住み慣れてしまえば、そこが都のように居心地よく感じられるということ。「住んでしまえば、そこが良いところになる」。環境に対する人間の適応力の高さや、愛着の深さを表すことわざ。
重箱の隅をつつく
じゅうばこのすみをつつく
重箱の隅をつつくとは、物事の全体像とは関係のない、ごく細かい部分や些細なことばかりを取り上げて、難癖をつけたり文句を言ったりすること。四角い重箱の隅を楊枝でほじくるような、陰湿で細かい干渉を批判する際に使われる言葉。
出る杭は打たれる
でるくいはうたれる
出る杭は打たれるとは、才能があって頭角を現す人は、他人から妬まれたり憎まれたりしやすいということ。また、出しゃばりすぎると制裁を受けるという戒め。日本社会の同調圧力や横並び意識を象徴することわざとしてよく引用される。
出藍の誉れ
しゅつらんのほまれ
出藍の誉れとは、弟子が師匠よりも優れた才能や学識を身につけること。
順風満帆
じゅんぷうまんぱん
順風満帆(じゅんぷうまんぱん)とは、帆がいっぱいに風を受けて船が快調に進むように、物事がすべて順調に思い通りに進んでいる様子。「順風」は追い風、「満帆」は帆を一杯に張ること。事業の成功や、人生の門出などが素晴らしいスタートを切った状態を指す。
初心忘るべからず
しょしんわするべからず
初心忘るべからず(しょしんわするべからず)とは、物事を始めたばかりのころの、真剣で謙虚な気持ちを忘れてはならないという教え。能楽の大成者である世阿弥が『花鏡』に残した言葉。一般的には「謙虚さを忘れるな」という意味で使われるが、世阿弥の本来の意図は、芸の未熟だった頃の自分を忘れなければ、成長した後でも慢心せず、さらに芸を向上させることができるという、より深い自己研鑽の心得を説いたものである。
助長
じょちょう
冗長構成(Redundancy)とは、システムの一部が故障しても全体が止まらないように、予備の設備を用意して二重化・多重化すること。「冗長化」。サーバーを2台用意したり、電源を複数にしたりする。信頼性と可用性を高めるための基本的な手法。
焼け石に水
やけいしにみず
焼け石に水とは、努力や援助が少なすぎて、全く効果が上がらないことの例え。焼けた石に少しばかりの水をかけても、一瞬で蒸発してしまい、冷やす役には立たないことから。圧倒的な不足や、どうにもならない状況を指して使われる。
笑う門には福来る
わらうかどにはふくきたる
笑う門には福来るとは、いつもニコニコと笑い声が絶えない家には、自然と幸福がやってくるということ。「門(かど)」は家や家族のこと。悲しい時や辛い時でも、明るく笑っていれば運が開けるという、ポジティブな幸福論を説くことわざ。
情けは人の為ならず
なさけはひとのためならず
情けは人の為ならずとは、人に親切にすることは、その人のためになるだけでなく、巡り巡ってやがて自分にも良い報いとなって返ってくるということ。「他人のために情けをかけるのは良くない」というのは誤用。善行は自分に返ってくるというポジティブな教訓。
触らぬ神に祟りなし
さわらぬかみにたたりなし
触らぬ神に祟りなし(さわらぬかみにたたりなし)とは、神様も祀らず、触ったりしなければ、祟りを受けることもない。転じて、面倒なことや厄介な人には、最初から関わりを持たず、余計な手出しをしなければ、災いを招くこともないという処世術。「君子危うきに近寄らず」に近い意味だが、より消極的に、トラブルを避けるために無関心を決め込むというニュアンスで使われることが多い。
食指
しょくし
食指が動く(しょくしがうごく)とは、ある物事に対して興味を持ち、やってみたいという気持ちが起こること。「食指」は人差し指のこと。春秋時代の中国で、子公という人物が、ご馳走を食べる前兆として人差し指がピクリと動いたという故事に由来する。
信賞必罰
しんしょうひつばつ
信賞必罰(しんしょうひつばつ)とは、功績のあった者には必ず賞を与え、罪を犯した者やルールを破った者は必ず罰するという、組織管理の厳格な原則のこと。「信」は賞を与える約束を必ず守ること(信用)、「必」は例外なく罰すること(公平性)を意味する。温情や贔屓を廃し、規律を維持するために不可欠なマネジメント手法。
神は細部に宿る
かみはさいぶにやどる
神は細部に宿るとは、素晴らしい作品や成果は、細かい部分へのこだわりによって生まれるということ。全体がいかに壮大でも、細部の仕上げが雑であれば台無しになる。建築家ミース・ファン・デル・ローエの言葉とされ、ディテールへの徹底的なこだわりの重要性を説く。
身から出た錆
みからでたさび
身から出た錆とは、刀の錆が刀身そのものから生じて刀をダメにするように、自分の犯した悪行や過ちが原因で、自分自身が苦しむことになることのたとえ。自業自得。悪い報いを受ける際に使われる言葉であり、良い結果には使われない。
人の振り見て我が振り直せ
ひとのふりみてわがふりなおせ
人の振り見て我が振り直せとは、他人の行動を見て、良いところは見習い、悪いところは自分の行いを反省して改めよという教え。他人の欠点は目につきやすいが、自分の欠点には気づきにくいもの。他人を批判する前に、自分を省みる材料にすべきだということ。
人口に膾炙する
じんこうにかいしゃする
人口に膾炙するとは、世間の人々がその話題を口にし、広く知れ渡ること。「膾(なます)」と「炙(あぶり肉)」はおいしくて誰の口にも合うことから、詩文などが多くの人に賞賛され親しまれることを指す。単に有名であるだけでなく、良い意味で評判になり、人々の話題に上る際に用いられる。
塵も積もれば山となる
ちりもつもればやまとなる
塵も積もれば山となるとは、ごくわずかなものでも、数多く積み重なれば、やがて大きなものになるということ。小銭を貯めることや、毎日の小さな努力の積み重ねが、将来的に大きな財産や成果につながることを説くことわざ。「ちりつも」と略されることもある。
推敲
すいこう
推敲(すいこう)とは、詩や文章をより良くするために、何度も練り直し、字句を修正すること。唐の詩人・賈島が、「僧は推す月下の門」という句の「推す」を「敲く(たたく)」にするか迷い、ロバの上で動作を繰り返して韓癒にぶつかった故事に由来する。
水に流す
みずにながす
水に流すとは、過去の揉め事や怨恨を、すべてなかったことにすること。汚れたものを水で洗い流してきれいにするように、わだかまりを捨てて和解すること。「昨日の敵は今日の友」のように、過去の経緯にとらわれず、関係をリセットする際に使われる。
水の低きに就くが如し
みずのひくきにつくがごとし
水の低きに就くが如しとは、水が自然と低い方へ流れるように、物事が自然の成り行きや道理に従って進むことのたとえ。また、人が安易な方や悪い方へ流されやすいことのたとえとしても使われる。『孟子』では、人の本性が善であることは、水が低い方へ流れるのと同じく自然なことだと説いている。
水魚の交わり
すいぎょのまじわり
水魚の交わり(すいぎょのまじわり)とは、水と魚が切っても切れない関係にあるように、非常に親密で、離れがたい友情や主従関係の例え。「三顧の礼」で知られる劉備玄徳と諸葛孔明の関係を、劉備自身が「私と孔明は水と魚のようなものだ」と語った故事から。
水清ければ魚棲まず
みずきよければうおすまず
水清ければ魚棲まずとは、水があまりに清らかすぎると、隠れる場所や餌がないため、かえって魚は住みつかないということ。転じて、人があまりに潔癖すぎたり、厳格すぎたりすると、他人は敬遠して寄り付かず、孤立してしまうことの例え。
水滴穿石
すいてきせんせき
水滴石を穿つ(すいてきいしをうがつ)とは、小さな水滴でも、長い間落ち続ければ硬い石に穴を開けることができるということ。どんなに非力でも、根気よく努力を続ければ、いつかは大きな成果を上げることができるという教え。「継続は力なり」と同じ意味。
雀の涙
すずめのなみだ
雀の涙(すずめのなみだ)とは、ごくわずかな量であることの例え。小さな雀(すずめ)が流す涙ほどしかない、という意味で、主に金額(ボーナス、予算、退職金など)が期待よりもはるかに少ないことを嘆く際に使われる自虐的な表現。「猫の額(狭い)」や「蚊の鳴くような声(小さい)」と同様の動物比喩。
青は藍より出でて藍より青し
あおはあいよりいでてあいよりあおし
青は藍より出でて藍より青しとは、弟子が師匠の学識や才能を越えることの例え。「出藍(しゅつらん)の誉れ」とも言う。青色の染料は藍草(あいぐさ)から取れるが、加工することで元の藍草よりも鮮やかな青色になることから。教育の成果を称える言葉。
青菜に塩
あおなにしお
青菜に塩とは、人が元気をなくして、しおらしくしている様子。新鮮でパリッとした青菜も、塩を振ると水分が抜けてしんなりしてしまうことから。失敗を怒られたり、悪い知らせを聞いたりして、すっかり意気消沈してしょげ返っている状態を指す。
青天の霹靂
せいてんのへきれき
青天の霹靂(せいてんのへきれき)とは、晴れ渡った青空に突然落ちる雷のように、予期せぬ衝撃的な出来事が起こること。突発的な大事件や、急に訪れた大きな変化の例え。「霹靂」は激しい雷のこと。驚きや衝撃の大きさを表す。
石の上にも三年
いしのうえにもさんねん
石の上にも三年とは、冷たい石の上でも、三年座り続ければ暖かくなるということ。転じて、どんなにつらくても、我慢して辛抱強く続ければ、必ず報われる時が来るという教え。忍耐と継続の大切さを説くことわざ。「三年」は長い期間の例え。
石橋を叩いて渡る
いしばしをたたいてわたる
石橋を叩いて渡るとは、堅固な石の橋でさえ、叩いて安全を確認してから渡るほど、用心深く慎重であることの例え。極めて慎重に物事を進める性格を指す。逆に、慎重すぎて決断が遅い、あるいは結局渡らない(行動しない)という皮肉として使われることもある。
切磋琢磨
せっさたくま
切磋琢磨(せっさたくま)とは、仲間同士が互いに励まし合い、競い合って、学問や技術、人格などを磨き高めること。骨、象牙、玉、石などの素材を、切ったり磨いたりして加工する工程に例えた四字熟語。「ライバルと切磋琢磨する」のように使う。
絶体絶命
ぜったいぜつめい
絶体絶命(ぜったいぜつめい)とは、追い詰められて、もはや逃れる方法がない困難な立場や状態。「絶体」は体を損なう、「絶命」は命を失うこと。九星占いで、凶星が重なる最も不吉な運勢を指した言葉に由来するとも言われる。「絶対絶命」と書くのは誤り。
先んずれば人を制す
さきんずればひとをせいす
先んずれば人を制すとは、何事も人より先に行動を起こせば、優位に立って相手を圧倒できるということ。
千載一遇
せんざいいちぐう
千載一遇(せんざいいちぐう)とは、千年に一度しか巡ってこないような、極めて稀で素晴らしいチャンスのこと。「載」は年、「遇」は出会うこと。滅多にない好機なので、この機会を絶対に逃してはならないという文脈で使われる。「千載一遇の好機」が定型句。
千里の道も一歩から
せんりのみちもいっぽから
千里の道も一歩からとは、どんなに大きな事業や遠大な計画も、手近な最初の一歩から始まるということ。また、地道な努力を積み重ねることが、成功への唯一の道であるという教え。老子の「千里の行も足下より始まる」に由来する。
千慮の一失
せんりょのいっしつ
千慮の一失(せんりょのいっしつ)とは、どんなに知恵のある賢い人でも、多くの考えの中には一つくらい間違いがあるということ。猿も木から落ちる。賢者の失敗を弁護したり、自分の間違いを謙遜したりする際に使われる。対義語は「愚者も一得(愚か者でも一つは名案がある)」。
戦場の霧
せんじょうのきり
戦場の霧とは、戦争や競争において、敵の能力、意図、配置などの情報が不完全・不確実であり、状況が正確に把握できない状態のこと。軍事学者クラウゼヴィッツが提唱した概念。ビジネスにおいても、競合の動きや市場の反応が読めない不確実な状況を指して使われる。
戦戦恐恐
せんせんきょうきょう
戦々恐々(せんせんきょうきょう)とは、ある物事を恐れて、びくびくすること。「戦々」は震えること。「恐々」は恐れること。失敗や処罰などを恐れて、小心翼々としておびえる様子を表す。「戦々恐々とする」のように使う。
栴檀は双葉より芳し
せんだんはふたばよりかんばし
栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし)とは、香木である栴檀(白檀)は、発芽したばかりの双葉の頃から既に素晴らしい香りを放っていることから、大成する人物は、子供の頃から並外れて優れた素質や才能を見せるということの例え。「栴檀」とは白檀(びゃくだん)の別名。
船頭多くして船山に上る
せんどうおおくしてふねやまにのぼる
船頭多くして船山に上るとは、指図する人が多すぎると、方針が定まらず、とんでもない方向(船が山に登るようなあり得ない方向)に進んでしまうことのたとえ。組織におけるリーダーシップの統一の重要性を説く。意見ばかり言う人が多くて、実際の作業が進まない状況を皮肉っていう場合もある。
前途多難
ぜんとたなん
前途多難(ぜんとたなん)とは、これから先に、多くの困難や災難が待ち受けていること。「前途」は将来や行く末、「多難」は多くの災難があること。これから始めようとする計画や事業の見通しが暗く、苦労が予想される状況を表す四字熟語。
善は急げ
ぜんはいそげ
善は急げとは、良いと思ったことは、ためらわずにすぐに実行すべきだということ。「善は急げ、悪は延べよ」の略。チャンスを逃さないように、すぐに行動に移すことの大切さを説く。逆に「急いては事を仕損じる」という言葉もあり、状況判断が必要。
宋襄の仁
そうじょうのじん
宋襄の仁とは、敵に対する無益な情けや、つまらない体面にとらわれて、かえってひどい目に遭うことのたとえ。
早起きは三文の徳
はやおきはさんもんのとく
早起きは三文の徳とは、朝早く起きれば、何か少しは良いことがあるということ。「三文」はごくわずかな金額のこと。健康に良かったり、仕事がはかどったりと、わずかでも利益があるから、早起きはするべきだという教え。英語では「Early bird gets the worm」にあたる。
糟糠の妻
そうこうのつま
糟糠の妻とは、貧しい時代から苦労を共にして支え合ってきた妻のこと。
憎まれっ子世に憚る
にくまれっこよにはばかる
憎まれっ子世に憚る(にくまれっこよにはばかる)とは、他人から嫌われたり憎まれたりするような図々しい人の方が、かえって世渡りがうまく、世の中で幅を利かせて威勢よく振る舞っているという現実を皮肉ったことわざ。善人が必ずしも報われず、悪人や厚かましい人が栄えるという、世の中の理不尽さや矛盾を嘆くニュアンスが含まれている。また、いたずらっ子ほど元気で長生きするという意味で使われることもある。
損して得取れ
そんしてとくとれ
損して得取れ(そんしてとくとれ)とは、一時的には損をしたように見えても、それが将来的に大きな利益に繋がるなら、惜しまずに投資せよという教え。目先の利益に囚われず、長期的視野を持つことの重要性を説く商売の極意。
他山の石
たざんのいし
他山の石とは、他人の誤った言行や失敗も、自分の修養(成長)の役に立つというたとえ。つまらない石でも、宝石を磨く砥石として利用できるという意味。
帯に短し襷に長し
おびにみじかしたすきにながし
帯に短し襷に長し(おびにみじかしたすきにながし)とは、帯として使うには短すぎるし、襷(たすき)として使うには長すぎるということから、中途半端で何の役にも立たないことの例え。あちらの用途にもこちらの用途にも適合せず、使い道に困るものを指して使われる。転じて、人材や能力などが中途半端で、どのポジションにも適応できないような状祝を批判する際にも用いられる。
待てば海路の日和あり
まてばかいろのひよりあり
待てば海路の日和あり(まてばかいろのひよりあり)とは、今は状況が悪くても、焦らずに待っていれば、そのうち船出に良い天気(日和)がやってくるということ。辛抱強く待てば、必ずチャンスが巡ってくるという励まし。
大は小を兼ねる
だいはしょうをかねる
大は小を兼ねる(だいはしょうをかねる)とは、大きいものは小さいものの代わりとしても使えるが、その逆(小さいもので大きいものの代用)はできないということ。迷ったときは大きい方を選んでおけば、幅広い用途に対応できて有利であるという教え。ただし、衣服や道具など、身体にフィットすべきものに関しては、必ずしも大きい方が良いとは限らず、適切なサイズを選ぶべきであるという文脈で、反意的に使われることもある。
大同小異
だいどうしょうい
大同小異(だいどうしょうい)とは、細かい点に違いはあるが、全体的にはほぼ同じであること。「大同」は大部分が同じ、「小異」は小さな違い。五十歩百歩。「だいたい一緒」という意味で使われるが、「似て非なるもの(てんでばらばら)」とはニュアンスが異なる。
棚からぼたもち
たなからぼたもち
棚から牡丹餅(たなからぼたもち)とは、思いがけない幸運が舞い込んでくることの例え。「棚ぼた」と略される。棚の下で口を開けて寝ていたら、美味しい牡丹餅が落ちてきて口に入ったという様子から、労せずして予期せぬ利益を得ることを指す。
短気は損気
たんきはそんき
短気は損気とは、すぐに腹を立てたり、焦って行動したりすると、結局は自分が損をするということ。「損気」は損をする性質や、損になること。感情に任せて人間関係を壊したり、冷静な判断ができずに失敗したりすることを戒める言葉。
断琴の交わり
だんきんのまじわり
断琴の交わり(断金の交わり)とは、極めて親密で固い友情のこと。金属(金)をも断ち切るほどの固い絆で結ばれた仲。
断腸の思い
だんちょうのおもい
断腸の思いとは、腸(はらわた)がちぎれるほどに、悲しくつらい思いのこと。非常に辛い決断をする際などに使われる。
暖簾に腕押し
のれんにうでおし
暖簾に腕押しとは、手応えがなく、張り合いがないことの例え。暖簾(のれん)のような柔らかいものを腕で押しても、何の抵抗もないことから。相手に意見や忠告をしても、反応がなくて効き目がない様子を指す。「糠に釘(ぬかにくぎ)」と同じ意味。
知らぬが仏
しらぬがほとけ
知らぬが仏とは、知れば腹が立ったり心配したりすることも、知らなければ仏のように穏やかな気持ちでいられるということ。真実を知らない方が幸せである、または、本人が気づいていないだけで、実は大変なことになっているという皮肉の意味で使われる。
地獄の沙汰も金次第
じごくのさたもかねしだい
地獄の沙汰も金次第とは、世の中のことはすべてお金の力で解決できるということの例え。地獄の裁判(沙汰)でさえ、お金(賄賂/六文銭)があれば有利になるのだから、ましてやこの世のことは言うまでもないという、金銭万能主義を皮肉ったことわざ。
竹馬の友
ちくばのとも
竹馬の友(ちくばのとも)とは、幼い頃に竹馬に乗って一緒に遊んだ、幼馴染の親友のこと。中国の故事に由来する。「ちくば」と読む。「きんば」ではない。大人になってから出会った親友ではなく、子供時代からの付き合いがある古くからの友人を指す。
朝三暮四
ちょうさんぼし
朝三暮四(ちょうさんぼし)とは、目先の違いに気をとられて、結局は同じ結果であることに気づかないこと。また、口先で人を丸め込む詐術。「朝に3つ、暮れに4つ」ドングリを与えると言ったら猿が怒ったが、「朝に4つ、暮れに3つ」と言い換えたら喜んだという故事から。
朝令暮改
ちょうれいぼかい
朝令暮改(ちょうれいぼかい)とは、朝出した命令を、夕方にはもう変えてしまうこと。方針や命令が頻繁に変わって定まらず、あてにならないことの例え。本来は悪い意味だが、現代のビジネスでは「状況に合わせて柔軟に変化する(朝令暮改は善)」と肯定的に捉えることもある。
頂門の一針
ちょうもんのいっしん
頂門の一針(ちょうもんのいっしん)とは、相手の急所を突くような、痛烈な戒めや教訓のこと。「頂門」は頭のてっぺん。急所に針を刺すように、要点を鋭く指摘して、相手に反省を促すこと。脳天にガツンとくるような厳しい一言を指す。
鳥なき里の蝙蝠
とりなきさとのこうもり
蝙蝠(こうもり)とは、あっちについたりこっちについたりして、態度をはっきりさせない人の例え。イソップ寓話「卑怯なコウモリ」に由来する。鳥と獣の戦いで、有利な方にばかり味方したため、最後は両方から嫌われて暗い洞窟に住むようになった話から。
鼎の軽重を問う
かなえのけいちょうをとう
鼎の軽重を問う(かなえのけいちょうをとう)とは、統治者の実力や権威を疑い、その地位を奪おうとすること。「鼎(かなえ)」は王位の象徴である器。楚の荘王が周の王室の使者に鼎の重さを尋ねた故事から、権力者の能力を値踏みすることを指す。
溺れる者は藁をも掴む
おぼれるものはわらをもつかむ
溺れる者は藁をも掴む(おぼれるものはわらをもつかむ)とは、水に溺れそうな人は、役に立ちそうもない藁(わら)であっても、すがりついて助かろうとする。追い詰められた人は、頼りにならないものにまで救いを求めて頼ろうとすることの例え。
天衣無縫
てんいむほう
天衣無縫(てんいむほう)とは、詩や文章などが、技巧の跡がなく、自然で完全無欠に美しいこと。また、人柄が飾らず無邪気であること。「天衣」は天女の衣、「無縫」は縫い目がないこと。天人の服には縫い目がないという伝説から、わざとらしさが全くない自然な美しさを表す。
天下泰平
てんかたいへい
天下泰平(てんかたいへい)とは、世の中が平和で、争いごとがなく穏やかに治まっていること。「泰平」は安泰で平和なこと。江戸時代の260年間にわたる平和な時代を指して使われることが多い。現代では、何事もなくのんびりしている様子を、皮肉を込めて「天下泰平だ」と言うこともある。
天罰覿面
てんばつてきめん
天罰覿面(てんばつてきめん)とは、悪いことをすると、天が下す罰が即座に現れるということ。「覿面」は目の当たりに見える、即座に効果が出るという意味。悪事は必ず露見し、報いを受けるという戒めとして使われる四字熟語。
転ばぬ先の杖
ころばぬさきのつえ
転ばぬ先の杖とは、失敗しないように、前もって十分な準備や用心をしておくことの例え。転んでから杖を探しても遅いことから。リスクを予測し、事前に対策を講じておくことの重要性を説く。「備えあれば憂いなし」や「念には念を入れよ」と同じ意味。
杜撰
ずさん
杜撰(ずさん)とは、物事のやり方がいい加減で、誤りが多いこと。中国の詩人「杜黙」の詩が、定型(律)に合わず間違いだらけだったことに由来する。転じて、計画や管理などが手抜きで、信用できない状態を指す。「杜撰な管理」「杜撰な工事」のように使う。
渡る世間に鬼はない
わたるせけんにおにはない
渡る世間に鬼はなしとは、世の中は冷たい人ばかりけでなく、困った時には親切に助けてくれる情け深い人も必ずいるということ。「捨てる神あれば拾う神あり」と似た意味で、人間不信にならず、人を信じて生きていくべきだという希望を含んだことわざ。
登竜門
とうりゅうもん
登竜門(とうりゅうもん)とは、立身出世のための関門。そこを通り抜ければ、成功への道が開けるような難しい試験や選抜のこと。黄河の急流「竜門」を登りきった鯉は竜になるという伝説から。芥川賞などが「作家の登竜門」と呼ばれる。
桃源郷
とうげんきょう
桃源郷(とうげんきょう)とは、世俗の争いや苦しみから離れた、平和で美しい別世界のこと。理想郷、ユートピア。中国の詩人・陶淵明の「桃花源記」に描かれた、桃の花が咲き乱れる隠れ里の物語に由来する。素晴らしい環境や心安らぐ場所の例え。
桃李言わざれども下自ら蹊を成す
とうりいわざれどもしたおのずからこみちをなす
桃李言わざれども下自ら蹊を成すとは、桃や李(すもも)は何も言わないが、美しい花や美味しい実があるため人が集まり、自然と下に道ができる。徳のある人の周りには、自然と人が慕って集まってくることのたとえ。
灯台下暗し
とうだいもとくらし
灯台下暗しとは、身近なことほど、かえって気づきにくいということ。「灯台」は岬の灯台ではなく、昔の室内照明器具(燭台)。灯台のすぐ下は影になって暗いことから。探し物が意外と手元にあったり、自分の欠点に気づかなかったりする場合に使われる。
頭隠して尻隠さず
あたまかくしてしりかくさず
頭隠して尻隠さずとは、悪事や欠点の一部だけを隠して、全部隠したつもりになっている愚かさの例え。キジが草むらに頭だけ突っ込んで隠れたつもりになり、尾が丸見えになっている様子から。隠蔽工作が杜撰(ずさん)で、すぐにバレてしまうこと。
毒を食らわば皿まで
どくをくらわばさらまで
毒を食らわば皿までとは、一度悪事に手を染めたのなら、中途半端にやめずに、最後まで徹底的にやるべきだという例え。「皿まで」は、毒の乗っていた皿まで舐めるという意味。一度乗りかかった船だから、最後まで付き合う、という意味でも使われる。
鳶が鷹を生む
とんびがたかをうむ
鳶が鷹を生む(とんびがたかをうむ)とは、平凡な親から優れた子供が生まれることの例え。「鳶」はありふれた鳥、「鷹」は優れた鳥。自分よりもはるかに優秀な子供が生まれた時に、謙遜や驚きを込めて使われる。「親の七光り」とは逆の意味。
豚に真珠
ぶたにしんじゅ
豚に真珠とは、貴重なものや高価なものを、その価値が分からない無知な人に与えても、全く意味がないことの例え。「猫に小判」と同じ意味。聖書のマタイによる福音書に由来する。価値あるものは、それが分かる人に与えるべきだという教え。
南柯の夢
なんかのゆめ
南柯の夢とは、人生の栄華や喜びは夢のようにはかなく、空しいものであるというたとえ。
二階から目薬
にかいからめぐすり
二階から目薬とは、物事が思うようにならず、もどかしいことの例え。また、遠回しすぎて効果がないこと。二階にいて、階下の人に目薬を差そうとしても、距離がありすぎて上手くいかないことから。直接的な手段が取れず、隔靴掻痒(かっかそうよう)な状態を指す。
二兎を追う者は一兎をも得ず
にとをおうものはいっとをもえず
二兎を追う者は一兎をも得ずとは、欲張って同時に二つのことをしようとすると、結局どちらも失敗するということ。二羽のウサギを同時に捕まえようとしても、逃げられて一羽も捕まえられないことから。一つのことに集中すべきだという教え。
濡れ手で粟
ぬれてであわ
濡れ手で粟(ぬれてであわ)とは、苦労せずに多額の利益を得ること。「ボロ儲け」。濡れた手で粟(穀物)を掴むと、粟粒がびっしりとくっついてくることから。努力なしに簡単に金儲けができることを指すが、良い意味ではあまり使われない。
猫に小判
ねこにこばん
猫に小判とは、価値の分からない者に高価なものを与えても、何の役にも立たないことの例え。猫に金貨(小判)をあげても、猫はその価値が分からず喜ばないことから。「豚に真珠」や「馬の耳に念仏」と同じ意味。無駄なことの代名詞として使われる。
猫の手も借りたい
ねこのてもかりたい
猫の手も借りたいとは、あまりに忙しくて、役に立たたない猫の手でもいいから借りたいほど、人手不足で困っている様子。実際には猫の手を借りても役に立たないが、それほど切羽詰まっていることの例え。「猫の手」は役に立たないものの代名詞。
嚢中の錐
のうちゅうのきり
嚢中の錐(のうちゅうのきり)とは、優れた才能を持つ人は、多くの人の中に混じっていても、袋の中の錐(きり)が突き出てくるように、自然と頭角を現すことの例え。隠そうとしても隠しきれない才能を指す。平原君の食客であった毛遂の故事に由来する。
能ある鷹は爪を隠す
のうあるたかはつめをかくす
能ある鷹は爪を隠すとは、本当に才能や実力がある人は、それをむやみにひけらかしたり自慢したりしないという例え。獲物を狩る能力のある鷹は、普段は鋭い爪を隠していて、いざという時だけ役に立てることから。実力行使はここぞという時のためにとっておくべきという教訓。
覇王別姫
はおうべっき
覇王別姫とは、楚の覇王・項羽が、愛する虞美人(ぐびじん)と涙ながらに別れた故事。悲劇的な別れの場面の代名詞。
破竹の勢い
はちくのいきおい
破竹の勢い(はちくのいきおい)とは、竹を割る時のように、猛烈な勢いで物事が進むこと。竹は一度節に切れ目を入れると、あとは一気に割れていくことから。敵を次々と打ち破って進撃する様子や、快進撃を続けるスポーツチームなどに使われる。
破天荒
はてんこう
破天荒とは、今まで誰も成し得なかったことを初めて行うこと。前人未踏の偉業。
馬の耳に念仏
うまのみみにねんぶつ
馬の耳に念仏とは、人の意見や忠告を聞き入れようとしない相手には、いくら言っても無駄であるという例え。馬にありがたいお経を聞かせても何の効果もないことから。「馬耳東風(ばじとうふう)」や「猫に小判」「豚に真珠」と似た意味で、徒労に終わることを指す。
敗軍の将
はいぐんのしょう
敗軍の将は兵を語らずとは、戦いに負けた将軍は、戦術や兵法について語る資格はないということ。失敗した者は、言い訳や弁解をするべきではないという戒め。「敗軍の将」として潔く責任を認める態度が求められる。史記に由来する言葉。
杯中の蛇影
はいちゅうのじゃえい
杯中の蛇影とは、疑心暗鬼になって、ありもしないことに怯えたり苦しんだりすることのたとえ。
背水の陣
はいすいのじん
背水の陣(はいすいのじん)とは、川や海を背にして陣を敷き、退路を断って決死の覚悟で戦うこと。「史記」に登場する韓信の戦術に由来する。絶対に失敗できない状況で、全力を尽くして事にあたる決意や、追い詰められた状況の例えとして使われる。
伯牙絶弦
はくがぜつげん
伯牙絶弦(はくがぜつげん)とは、自分の才能を真に理解してくれる親友の死を悲しむこと。「知音(ちいん)」。琴の名手・伯牙が、自分の演奏を理解してくれた親友・鍾子期の死後、琴の弦を断ち切って二度と弾かなかったという故事に由来する。真の友情の深さを例える言葉。
伯楽
はくらく
伯楽(はくらく)とは、馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物の才能を見抜いて引き立てるのが上手い人の例え。中国の天界で馬を管理する星の名前に由来する。優れたリーダーや人事担当者は「伯楽」と称されることがある。
拍車を掛ける
はくしゃをかける
拍車をかけるとは、物事の進行を一段と早めること、勢いをさらに激しくすること。「拍車」は馬に乗る人が靴のかかとにつける金具で、これで馬の腹を刺激して速く走らせることから。良くも悪くも、ある傾向を加速させる場合に使われる。「インフレに拍車をかける」など。
白眼視
はくがんし
白眼視(はくがんし)とは、冷たい目つきで見ること。また、冷淡に扱うこと。「白眼」は白い目のこと。中国の故事で、竹林の七賢の一人である阮籍が、気に入らない客を白目をむいて迎えたことに由来する。相手を軽蔑したり、敵意を持って見たりする様子。
白髪三千丈
はくはつさんぜんじょう
白髪三千丈とは、心痛や悲しみが深く、積もり積もって白髪が極めて長くなった様子。転じて、大袈裟な表現のたとえ。
白眉
はくび
白眉(はくび)とは、数ある優れたものの中でも、特に際立って優れているものの例え。三国志の馬良(5人兄弟全員が才能豊かだった)が、眉の中に白い毛があり、兄弟の中で最も優秀だったという故事に由来する。「傑作選の中でも白眉の一編」のように使う。
薄氷を履む
はくひょうをふむ
薄氷を踏む(はくひょうをふむ)とは、非常に危険な状況に臨むことや、極めて危なっかしい様子の例え。割れやすい薄い氷の上を歩くような、ヒヤヒヤする緊張感を伴う状況を指す。「薄氷を踏む思い」という表現で、なんとか無事に切り抜けた際によく使われる。
八方美人
はっぽうびじん
八方美人(はっぽうびじん)とは、誰に対しても愛想よく振る舞い、良く思われようとすること。本来は「どこから見ても欠点のない美人」という褒め言葉だったが、現在は「誰にでもいい顔をして、本心が見えない」「信用できない」という批判的な意味で使われることが多い。
八面六臂
はちめんろっぴ
八面六臂(はちめんろっぴ)とは、一人で何人分もの活躍をすること。仏像の「八つの顔と六つの腕」を持つ姿から、あらゆる方面に素晴らしい働きを見せることを指す。「八面六臂の大活躍」のように、獅子奮迅の働きをしてチームを支えるエースを称える言葉。
比翼連理
ひよくれんり
比翼連理(ひよくれんり)とは、男女の仲が極めて睦まじく、深く愛し合っていることの例え。「比翼」は比翼の鳥(片目片翼しかなく、二羽が一体となって飛ぶ空想上の鳥)、「連理」は連理の枝(二本の木の枝がくっついて一本になったもの)。夫婦の契りの固さを表す。
飛んで火に入る夏の虫
とんでひにいるなつのむし
飛んで火に入る夏の虫とは、自分から進んで危険や災難に飛び込んでいくこと、あるいは自ら破滅の原因を作りにいくことのたとえ。夏の夜、虫が明るい火に引き寄せられて焼け死ぬ様子から来ている。予期せず罠にかかるのではなく、無謀にも自ら飛び込む愚かさを強調する言葉。
備えあれば憂いなし
そなえあればうれいなし
備えあれば憂いなしとは、日頃から万一の事態に備えて準備をしておけば、いざという時に心配することはないという教え。不測の事態や災害などに対して、事前の対策や心構えが重要であることを説くことわざ。「転ばぬ先の杖」と似た意味。
百尺竿頭
ひゃくしゃくかんとう
百尺竿頭に一歩を進むとは、すでに十分に努力して到達した高い境地から、さらに向上を目指してもう一歩踏み出すこと。「百尺竿頭」は非常に高い竿の先。現状に満足せず、さらなる高みを目指す探求心や、命がけの決意を称える言葉。
百聞は一見に如かず
ひゃくぶんはいっけんにしかず
百聞は一見に如かずとは、人から百回聞くよりも、自分の目で一回見る方が確かであるということ。伝聞情報を鵜呑みにせず、現場・現物・現実を直視することの重要性を説く。「百見は一考に如かず(見るだけでなく考えることが大事)」と続くこともある。
瓢箪から駒
ひょうたんからこま
瓢箪から駒とは、思いもよらない意外なところから、意外なものが現れることの例え。また、冗談で言っていたことが、本当に実現してしまうこと。「駒」は馬のこと。小さな瓢箪の口から馬が出てくるような、あり得ないことが起きる様子。
不易流行
ふえきりゅうこう
不易流行(ふえきりゅうこう)とは、松尾芭蕉が唱えた俳諧の理念。いつまでも変わらない本質的なもの(不易)の中に、その時々の新しい変化(流行)を取り入れていくことこそが、真の風流であるという考え。伝統を守りつつ、革新を続けることの重要性を説く。
付和雷同
ふわらいどう
付和雷同(ふわらいどう)とは、自分にしっかりとした定見(考え)がなく、むやみに他人の意見にすぐ賛成すること。「付和」は相手の意見に合わせること、「雷同」は雷が鳴ると万物が響くように、わけも分からず同調すること。主体性のなさを批判する言葉。
負けるが勝ち
まけるがかち
負けるが勝ち(まけるがかち)とは、目先の勝負にこだわって無理に争うよりも、あえて相手に勝ちを譲ることで、結果的には自分に有利な状況を作り出し、最終的な勝利や利益を得ることができるという逆説的な教え。無用な争いで消耗することを避け、大局的な視点で物事を判断することの重要性を説いている。「逃げるが勝ち」「三十六計逃げるに如かず」などと同様に、戦略的な撤退や譲歩の価値を認める言葉である。
負け犬の遠吠え
まけいぬのとおぼえ
負け犬の遠吠えとは、臆病な人が、陰でこそこそと強がったり、悪口を言ったりすることの例え。弱い犬は相手の前では尻尾を巻いて逃げるくせに、安全な遠く離れた場所から吠え立てることから。実力のない者が、陰で虚勢を張る様子を揶揄する言葉。
風が吹けば桶屋が儲かる
かぜがふけばおけやがもうかる
風が吹けば桶屋が儲かるとは、一見すると全く関係のない事柄が、意外な因果関係によって巡り巡って影響を及ぼすことのたとえ。風が吹く→砂埃が舞う→盲人が増える→三味線が売れる→猫が減る→ネズミが増える→桶がかじられる→桶屋が儲かる、という長い理屈から来ている。現代では、論理の飛躍やこじつけの意味で使われることも多い。
風樹の嘆
ふうじゅのたん
風樹の嘆とは、親孝行をしたいと思った時にはすでに親は亡くなっていて、孝行できないという嘆き。
覆水盆に返らず
ふくすいぼんにかえらず
覆水盆に返らずとは、一度してしまったことは、もはや取り返しがつかないことのたとえ。また、一度別れた夫婦の仲は元に戻らないこと。
覆水盆に返らず
ふくすいぼんにかえらず
覆水盆に返らずとは、一度してしまったことは、もはや取り返しがつかないという例え。こぼれた水は二度とお盆には戻らないことから。特に、別れた夫婦の仲は元には戻らないという意味で使われることが多いが、広く「後悔先に立たず」の意味でも使われる。
仏の顔も三度まで
ほとけのかおもさんどまで
仏の顔も三度までとは、どんなに温厚で慈悲深い人でも、無法な振る舞いを何度も繰り返されれば、最後には怒り出すということ。本来は「三度撫でれば腹を立てる」だったとされる。甘えにも限度があるという戒めや、相手の忍耐を試すような真似は慎むべきだという教訓。
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥
きくはいっときのはじきかぬはいっしょうのはじ
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥とは、知らないことを人に聞くのは、その時は恥ずかしいかもしれないが、聞かずに知らないままでいると、一生涯恥ずかしい思いをするということ。知ったかぶりをせず、素直に質問することの大切さを説くことわざ。
壁に耳あり障子に目あり
かべにみみありしょうじにめあり
壁に耳あり障子に目ありとは、秘密は漏れやすいものだから、誰にも聞かれていないと思っていても、言葉には十分気をつけるべきだという戒め。隠し事をしようとしても、どこで誰が見聞きしているか分からない。情報漏洩や噂話への警告として使われる。
捕らぬ狸の皮算用
とらぬたぬきのかわざんよう
捕らぬ狸の皮算用とは、まだ手に入っていない利益をあてにして、あれこれ計画を立てること。狸を捕まえる前から、その皮がいくらで売れるかを計算することから。実現するかどうかも分からない不確定な成果を前提に、使い道などを考える愚かさを戒めることわざ。
亡羊の嘆
ぼうようのたん
亡羊の嘆(ぼうようのたん)とは、学問の道が多方面に分かれすぎていて、真理をつかむのが難しいことの嘆き。「多岐亡羊」。逃げた羊を探しに行ったが、道がいくつにも分かれていて結局見失ってしまったという故事から。方針が定まらず迷うことの例えとしても使われる。
傍若無人
ぼうじゃくぶじん
傍若無人(ぼうじゃくぶじん)とは、周囲に人がいないかのように、勝手気ままに振る舞うこと。他人の迷惑を顧みず、自分勝手な言動をすることの例え。『史記』に登場する荊軻(けいか)の友人が、人前でも憚らず大声で歌ったり泣いたりした故事に由来するが、現代では「傲慢で迷惑な人」という悪い意味で使われることが多い。
暴虎馮河
ぼうこひょうが
暴虎馮河(ぼうこひょうが)とは、向こう見ずな勇気の例え。虎に素手で立ち向かったり、大河を徒歩で渡ろうとしたりするような、無謀な行為を指す。『論語』において、孔子が「死んでも悔いがないような無茶をする者とは一緒に行動しない」と戒めた言葉。
墨守
ぼくしゅ
墨守(ぼくしゅ)とは、自説や習慣を固く守って変えないこと。中国の墨子が、城を巧みに守り抜いた故事から。本来は「堅固に守る」という良い意味だが、現代では「旧弊を墨守する」のように、頑固で融通が利かない、古いやり方に固執するという悪い意味で使われることが多い。
万事休す
ばんじきゅうす
万事休す(ばんじきゅうす)とは、もはや施す術がなく、万策尽きた状態。「万事」はすべてのこと、「休す」は終わる、どうしようもなること。あらゆる手段を講じきってしまい、これ以上どうすることもできない絶望的な状況を指す。
無用の長物
むようのちょうぶつ
無用の長物(むようのちょうぶつ)とは、あっても役に立たないばかりか、かえって邪魔になるもの。「長物」は長い物体ではなく、余分なものという意味。実用性のない大きな家具や、使いこなせない高価な道具などを指して使われる。「無用の用」とは意味が異なる。
矛盾
むじゅん
矛盾(むじゅん)とは、前後のつじつまが合わないこと。中国の故事で、「どんな盾も突き通す矛(ほこ)」と「どんな矛も防ぐ盾(たて)」を同時に売っていた商人が、客に「その矛でその盾を突いたらどうなるか」と問われて答えに詰まったことに由来する。
明鏡止水
めいきょうしすい
明鏡止水(めいきょうしすい)とは、一点の曇りもない磨かれた鏡と、静止して波立たない水面のように、邪念がなく澄み切って落ち着いた心境のこと。武道において、心が研ぎ澄まされ、物事をありのままに捉えられる理想的な精神状態を指す言葉としても使われる。
明日は明日の風が吹く
あしたはあしたのかぜがふく
明日は明日の風が吹くとは、先のことをくよくよ心配しても仕方がない、なるようになるさという楽天的な考え方。今日どんなに悪いことがあっても、明日はまた別の展開があるかもしれないという励ましの意味で使われる。「ケセラセラ」に近いニュアンス。
孟母三遷
もうぼさんせん
孟母三遷(もうぼさんせん)とは、子供の教育には環境が何より大切であるという教え。孟子の母が、子供の教育のために、墓場の近く、市場の近く、学校の近くへと、三度住居を変えたという故事に由来する。朱に交われば赤くなると同様、環境が人に与える影響を説いた言葉。
盲亀の浮木
もうきのふぼく
盲亀の浮木(もうきのふぼく)とは、出会うことが極めて難しいこと、めったにない幸運の例え。百年に一度だけ海面に顔を出す目の見えない亀が、たまたま流れてきた流木の穴に頭を入れる確率の低さから。人間に生まれることのありがたさを説く仏教用語。
目から鱗
めからうろこ
目から鱗が落ちるとは、何かがきっかけで、急に物事の実態が分かり、迷いが晴れること。新約聖書で、サウロ(パウロ)の目から鱗のようなものが落ちて視力が回復した奇跡に由来する。今まで知らなかった真実を知り、認識が一変するような衝撃的で嬉しい発見のこと。
餅は餅屋
もちはもちや
餅は餅屋とは、何事もその道の専門家に任せるのが一番であるという例え。素人が手出しをするよりも、プロに頼んだ方が、確実で品質の良い結果が得られるということ。専門家の技術や知識に敬意を表する際や、自分の専門外のことを断る際などに使われる。
油を売る
あぶらをうる
油を売るとは、仕事の途中で怠けたり、無駄話をして時間を潰したりすること。昔、髪油の行商人が、枡(ます)で油を量り売りする際、油が落ちるのに時間がかかるため、その間お客と世間話をしていたことに由来する。「サボる」という意味で使われる慣用句。
唯我独尊
ゆいがどくそん
唯我独尊(ゆいがどくそん)とは、釈迦が誕生した時に言ったとされる言葉で、「この世で自分という存在ほど尊いものはない」という意味。本来は人間の尊厳を説く言葉だが、現代では「自分だけが偉いと思い込んでいる」「独りよがり」という悪い意味で使われることが多い。
唯唯諾諾
いいだくだく
唯唯諾諾(いいだくだく)とは、事の善悪を判断せず、他人の言いなりになって従うこと。「唯唯」も「諾諾」も、「はいはい」と素直に返事をする様子を表す。自分の意見を持たず、相手の顔色をうかがって追従する態度を批判する文脈で使われる四字熟語。
優柔不断
ゆうじゅうふだん
優柔不断(ゆうじゅうふだん)とは、ぐずぐずしていて、物事の決断ができないこと。「優柔」はぐずぐずしていること、「不断」は決断しないこと。慎重すぎて行動に移せない様子や、気が弱くてはっきりしない性格をネガティブに表す四字熟語。
由らしむべし知らしむべからず
よらしむべししらしむべからず
民を施政者の決めた方針に従わせることはできるが、その理由や意図をすべて理解させることは難しい(だから従わせればよい)という教え。
羊頭狗肉
ようとうくにく
羊頭狗肉(ようとうくにく)とは、見かけだけ立派で、中身が伴っていないこと。羊の頭を看板に掲げていながら、実際には犬の肉を売っていたという故事に由来する。「看板倒れ」や「誇大広告」と同じ意味で使われる四字熟語。
雷陳の交わり
らいちんのまじわり
雷陳の交わりとは、非常に固い友情のたとえ。
洛陽の紙価を高める
らくようのしかをたかめる
洛陽の紙価を高めるとは、著書が広く世に読まれ、評判になること。ベストセラーになること。
李下の冠
りかにかんむり
李下の冠とは、人に疑われるような紛らわしい行動は避けるべきだという教え。「李下に冠を正さず」の略。
李代桃僵
りだいとうきょう
李代桃僵とは、桃の木につく虫が李(すもも)の木に移って、李が桃の身代わりになって枯れること。転じて、他人の災難を自分が被ったり、組織全体のために一部を犠牲にしたりすること。
立つ鳥跡を濁さず
たつとりあとをにごさず
立つ鳥跡を濁さず(たつとりあとをにごさず)とは、水鳥が飛び立った後の水辺がきれいなように、立ち去る者は、自分のいた場所をきれいに片付け、見苦しくないようにすべきだという教え。引き際や去り際の美学を説く。
竜頭蛇尾
りゅうとうだび
竜頭蛇尾(りゅうとうだび)とは、始まりは勢いが盛んだが、終わりは振るわないこと。頭は竜のように立派だが、尾は蛇のように細くて頼りないという意味。期待外れの結果に終わったプロジェクトや企画などに対して使われる。
両雄並び立たず
りょうゆうならびたたず
両雄並び立たず(りょうゆうならびたたず)とは、二人の優れた英雄や実力者が同じ場所にいると、必ず対立して争いになり、共存することはできないということ。権力闘争やライバル関係において、どちらか一方が倒れるまで戦いが続く状況を指す。
梁上の君子
りょうじょうのくんし
梁上の君子(梁の上の君子)とは、天井裏や梁(はり)の上に忍び込んでいる人、つまり「泥棒」や「ネズミ」を指す婉曲的な表現。
良薬
りょうやく
良薬は口に苦しとは、よく効く薬は苦くて飲みにくいことから、自分のためになる忠告や諫言(かんげん)は、耳が痛くて聞くのが辛いものであるという例え。素直に聞くべきだという教え。「忠言(ちゅうげん)耳に逆らう」と同じ意味。孔子の言葉とされる。
良薬は口に苦し
りょうやくはくちににがし
良薬は口に苦し(りょうやくはくちににがし)とは、病気によく効く薬は、苦くて飲みづらいものである。転じて、自分の欠点を指摘し、ためになるような忠告や諫言(かんげん)は、聞くのが辛く耳が痛いものだが、自分を成長させるためには素直に聞くべきであるという教え。『孔子家語』にある「良薬は口に苦くして病に利あり、忠言は耳に逆らいて行いに利あり」に由来する。
遼東の豕
りょうとうのいのこ
遼東の豕(いのこ=豚)とは、世間ではありふれているものを、自分だけが素晴らしいものだと思い込んで大事にすること。独りよがりの知識や見識のたとえ。
隣の芝生は青い
となりのしばふはあおい
隣の芝生は青いとは、他人のものは自分のものよりも良く見えて、羨ましくなるという心理。実際には自分と同じような環境や条件であっても、他人の生活や持ち物は輝いて見え、自分の現状に不満を感じてしまうこと。「隣の花は赤い」とも言う。
類は友を呼ぶ
るいはともをよぶ
類は友を呼ぶとは、気の合う者や似た者同士は、自然と寄り集まるということ。「類」は似たもの。「類友(るいとも)」と略されることもある。善人が集まる場合にも、悪人が徒党を組む場合にも使われる。「朱に交われば赤くなる」とは少しニュアンスが異なり、元々の性質が似ていることを指す。
老婆心
ろうばしん
老婆心(ろうばしん)とは、必要以上に世話を焼こうとする、度を越した親切心のこと。「老婆心ながら」と前置きして、目下の人に忠告や助言をする際によく使われる。自分の忠告がお節介かもしれないと謙遜するニュアンスを含む。
老驥千里
ろうきせんり
老驥千里を志す(ろうきせんりをこころざす)とは、優れた人物は、年老いてもなお高い志(野心)を持ち続けるということ。「老驥」は年老いた駿馬。「烈士暮年(れっしぼねん)、壮心已(や)まず」と続く曹操の詩が有名。老いても意気軒昂であることを称える言葉。
論より証拠
ろんよりしょうこ
論より証拠とは、物事をはっきりさせるには、口先で議論を重ねるよりも、確実な証拠や実物を示した方が説得力があり、手っ取り早いということ。あれこれ理屈をこねる前に、事実やデータを提示することの重要性を説いたことわざ。科学的な態度の基本でもある。
和氏の璧
かしのへき
和氏の璧とは、天下の名玉のたとえ。また、優れた才能を持ちながらも認められないことの嘆き。
刎頸の交わり
ふんけいのまじわり
刎頸の交わりとは、お互いのためなら首をはねられても悔いはないというほどの、固い友情のこと。
杞憂
きゆう
杞憂(きゆう)とは、心配しなくてもいいことを、あれこれ心配すること。取り越し苦労。「杞」の国の人が、天が落ちてくるのではないかと心配して夜も眠れなかったという中国の故事に由来する。「それは杞憂に過ぎない」「杞憂に終わる」のように使われる。
漱石枕流
そうせきちんりゅう
漱石枕流(そうせきちんりゅう)とは、負け惜しみが強く、自分の間違いを認めずに、理屈をつけて強弁すること。「石に漱(くちすす)ぎ、流れに枕する」と言い間違えたのを、「石で歯を磨き、流れで耳を洗うためだ」と言い逃れした故事(夏目漱石のペンネームの由来)から。
籠の鳥
かごのとり
籠の鳥とは、籠の中に入れられた鳥のように、自由を奪われ、自分の意志で動けなくなっている状態のたとえ。遊郭の遊女や、厳しい束縛を受けている人などを指す。逃げたくても逃げられない境遇を哀れんで使うことが多い。
羹に懲りて膾を吹く
あつものにこりてなますをふく
羹に懲りて膾を吹くとは、一度の失敗に懲りて、必要以上に用心深くなることの例え。「羹(あつもの)」は熱い吸い物、「膾(なます)」は冷たい料理。熱い汁を飲んで火傷をしたのに懲りて、冷たいなますまで息を吹きかけて冷まそうとする愚かさを笑う言葉。
膠漆の交わり
こうしつのまじわり
膠漆の交わりとは、きわめて親密で、離れがたい友情や関係のたとえ。
膠柱鼓瑟
こうちゅうこしつ
膠柱鼓瑟とは、融通がきかず、頑固で変化に対応できないことのたとえ。
蓼食う虫も好き好き
たでくうむしもすきずき
蓼食う虫も好き好き(たでくうむしもすきずき)とは、人の好みは様々であるということの例え。「蓼(たで)」は辛くて苦い草だが、それを好んで食べる虫もいることから。他人の趣味や嗜好が理解できない場合でも、それは人それぞれだと認める際に使われる。
藪をつついて蛇を出す
やぶをつついてへびをだす
藪をつついて蛇を出す(やぶへび)とは、余計なことをして、かえって悪い結果を招いたり、災難を引き起こしたりすることの例え。しなくてもいいことをしたばかりに、寝ていた蛇を呼び覚まして噛みつかれるような愚かな行為を指す。「藪蛇(やぶへび)」と略されることが多い。
蟷螂の斧
とうろうのおの
蟷螂の斧(とうろうのおの)とは、弱者が自分の力量もわきまえずに、強敵に立ち向かうことの例え。「蟷螂」はカマキリのこと。カマキリが前足を上げて、大きな馬車に立ち向かう様子から、勇気はあるが無謀であること、または虚勢を張ることを指す。
邯鄲の歩み
かんたんのあゆみ
邯鄲の歩み(邯鄲の学歩)とは、自分の本来のやり方を捨てて、むやみに他人の真似をした結果、結局どちらもうまくいかなくなることのたとえ。昔、田舎の若者が都会(邯鄲)の歩き方を真似したが身につかず、自分の歩き方まで忘れて這って帰ったという故事に由来する。「藪蛇」や「アブハチ取らず」に近い。
邯鄲の枕
かんたんのまくら
邯鄲の枕とは、人の世の栄枯盛衰は儚いものであることのたとえ。
邯鄲の夢
かんたんのゆめ
邯鄲の夢(かんたんのゆめ)とは、人の世の栄枯盛衰は、非常にはかなく虚しいものであるという例え。盧生という若者が、邯鄲という都で、一生の栄華を極める夢を見たが、目覚めてみると、炊きかけのアワ(黄梁)がまだ煮えていないほどの短い時間だったという故事から。
髀肉の嘆
ひにくのたん
髀肉の嘆(ひにくのたん)とは、才能や実力があるのに、それを発揮する機会がなく、無為に日々を過ごすことの嘆き。「髀」は太もも。戦場に出られず、馬に乗らないため太ももに贅肉がついたことを、劉備玄徳が嘆いた故事に由来する。