ことわざ
ことわざについての用語集です。
ローマは一日にして成らず
ろーまはいちにちにしてならず
ローマは一日にして成らずとは、大事業や偉大な成果は、短期間で簡単に成し遂げられるものではなく、長年の努力の積み重ねが必要であるという教え。世界帝国ローマも、長い年月をかけて築かれたことから。継続的な努力の重要性を説く際によく使われる。
虻蜂取らず
あぶはちとらず
虻蜂取らずとは、虻はち(あぶ)と蜂(はち)の両方を捕まえようとして、結局どちらも捕まえられないことから、二つの利益を同時に得ようとして両方とも失敗することのたとえ。
虻蜂取らず
あぶはちとらず
虻蜂取らずとは、二つのものを同時に得ようとして欲張った結果、どちらも失敗して何も得られないことのたとえ。
井の中の蛙大海を知らず
いのな種かわずたいかいをしらず
井の中の蛙大海を知らずとは、狭い井戸の中に住む蛙は、外に広い海があることを知らないことから、自分の狭い知識や見解にとらわれて、広い世界があることを知らないことのたとえ。世間知らずや、独りよがりな考え方を戒める言葉。後に日本で「されど空の深さ(青さ)を知る」という続きが付け加えられることもあるが、本来の中国の故事にはない。
一を聞いて十を知る
いちをきいてじゅうをしる
一を聞いて十を知るとは、物事のほんの一部を聞いただけで、全体を理解してしまうほど、非常に賢く察しが良いことのたとえ。孔子の弟子である顔回(がんかい)の聡明さを称えた言葉。「一」は始まり、「十」は終わりや全体を意味する。
一寸の虫にも五分の魂
いっすんのむしにもごぶのたましい
一寸の虫にも五分の魂とは、小さく弱い者にもそれなりの意志や誇りがあるのだから、決して侮ってはならないという戒め。一寸(約3cm)の半分の五分(約1.5cm)もの魂(気概)があるということから。下請けや立場の弱い相手をいじめると、思わぬ反撃を受けるぞという警告として使われることもある。
一寸先は闇
いっすんさきはやみ
一寸先は闇とは、ほんの少し先の未来に何が起こるか全く予測できないことのたとえ。
雨降って地固まる
あめふってじかたまる
雨降って地固まるとは、雨が降った後は地面がかえって固く締まることから、揉め事やトラブルがあった後は、以前よりもかえって良い状態になったり、結束が固まったりすることの例え。
嘘も方便
うそもほうべん
嘘も方便とは、本来、嘘をつくのは悪いことだが、時と場合によっては、嘘をつくことが物事を円滑に進めるための手段(方便)として必要になり、許されることもあるという教え。
瓜の蔓に茄子はならぬ
うりのつるになすびはならぬ
瓜の蔓に茄子はならぬとは、瓜のつるには瓜しか実らず、茄子はならないことから、平凡な親から非凡な子は生まれない、または子は親に似るものだというたとえ。
猿も木から落ちる
さるもきからおちる
猿も木から落ちるとは、その道の達人や熟練者であっても、時には失敗することがあるというたとえ。失敗して落ち込んでいる人を慰める際によく使われる。
可愛い子には旅をさせよ
かわいいこにはたびをさせよ
可愛い子には旅をさせよとは、子どもが可愛いなら、甘やかして手元に置くのではなく、辛い旅に出させて世の中の厳しさを経験させるべきだという教え。
可愛い子には旅をさせよ
かわいいこにはたびをさせよ
可愛い子には旅をさせよとは、子どもが可愛いならば、甘やかして手元に置くのではなく、あえて辛い旅に出させて世間の厳しさを経験させるべきだという教え。
果報は寝て待て
かほうはねてまて
果報は寝て待てとは、幸運(果報)は人の力ではどうにもならず、焦らず時期が来るのを待つのが良いということ。
河童の川流れ
かっぱのかわながれ
河童の川流れとは、泳ぎが得意な河童でさえ川に流されてしまうことがあるという意味で、名人も時には油断して失敗することのたとえ。「猿も木から落ちる」と同じ意味。
禍を転じて福と為す
わざわいをてんじてふくとなす
禍を転じて福と為すとは、不運や災難に見舞われても、それを嘆くだけでなく、逆にその状況を利用して以前より良い結果をもたらすこと。「ピンチはチャンス」と同義。失敗を糧にして成功をつかむポジティブな姿勢を表す。
蛙の子は蛙
かえるのこはかえる
蛙の子は蛙とは、子供の性質や能力は親に似るものであり、凡人の子はやはり凡人であるということ。また、子は親の歩んだ道を歩むものだということ。
鬼に金棒
おににかなぼう
鬼に金棒とは、もともと強い鬼が、さらに武器である金棒を持てば無敵になるということ。強いものが何かを得て、さらに強くなることのたとえ。
亀の甲より年の功
かめのこうよりとしのこう
亀の甲より年の功とは、年配者の経験や知恵は尊いものであり、敬うべきだという教え。「甲(こう)」と「功(こう)」をかけた言葉。
蟻の穴から堤の崩れ
ありのあなからつつみのくずれ
蟻の穴から堤の崩れ(ありのあなからつつみのくずれ)とは、堅牢な巨大な堤防であっても、小さな蟻が開けた些細な穴がきっかけとなって、ついには崩壊してしまうことから、ごくわずかな油断や不注意、あるいは些細な欠陥が原因で、大きな失敗や大事故につながることのたとえ。「千丈の堤も蟻の一穴(いっけつ)から」とも言う。ハインリッヒの法則や割れ窓理論にも通じる教訓。
急いては事を仕損じる
せいてはことをしそんじる
急いては事を仕損じるとは、何事も焦ってやると失敗しやすいという戒め。急ぐ時ほど、落ち着いて慎重に行動すべきだという教え。
急がば回れ
いそがばまわれ
急がば回れとは、急いでいる時ほど、危険な近道を行くよりも、遠回りでも安全で確実な方法をとる方が、結果的に早く目的を達することができるという教え。
窮鼠猫を噛む
きゅうそねこをかむ
窮鼠猫を噛むとは、弱い者でも追い詰められて逃げ場がなくなれば、強い者に必死の反撃をして打ち負かすことがあるというたとえ。
郷に入っては郷に従う
ごうにいってはごうにしたがう
郷に入っては郷に従うとは、新しい土地や環境(会社、学校など)に入ったら、自分のやり方を主張するのではなく、その場所の習慣ややり方に従うのが賢明だという処世術。「朱に交われば赤くなる」とは違い、主体的な適応を説く肯定的なニュアンスが強い。異文化コミュニケーションの基本でもある。
郷に入っては郷に従え
ごうにいってはごうにしたがえ
郷に入っては郷に従えとは、その土地や集団に入ったら、自分の価値観を主張するのではなく、その場所の習慣ややり方に従うのが処世の知恵であるという意味。
犬も歩けば棒に当たる
いぬもあるけばぼうにあたる
犬も歩けば棒に当たるとは、物事を行えば、思わぬ災難に遭うことがあるというたとえ。あるいは逆に、出歩けば思わぬ幸運に出会うこともあるという意味で使われることもある(現代では後者の意味も多い)。「棒」は棒で叩かれるような災難のこと。江戸いろはかるたの「い」。
枯れ木も山のにぎわい
かれきもやまのにぎわい
枯れ木も山のにぎわいとは、つまらないものでも、ないよりはマシであるということ。また、老人が若者の集まりに参加した際などに、自分の存在を謙遜して言う言葉。本来は「つまらないもの」という意味だが、近年では「賑やかし」「盛り上げ役」といったポジティブな意味で誤用(あるいは変化)して使われることも増えている。
後悔先に立たず
こうかいさきにたたず
後悔先に立たずとは、物事が終わった後で悔やんでも取り返しがつかないということ。事前に十分注意すべきだという戒め。
弘法にも筆の誤り
こうぼうにもふでのあやまり
弘法にも筆の誤りとは、書道の達人である弘法大師(空海)でさえ、文字を書き損じることがあるという意味。どんなに優れた人でも失敗することはあるというたとえ。
弘法筆を選ばず
こうぼうふでをえらばず
弘法筆を選ばずとは、書道の達人である弘法大師(空海)は、筆の良し悪しに関係なく立派な字を書いたという伝説から、本当の名人は道具の良し悪しを問わず、実力を発揮できるということ。
糠に釘
ぬかにくぎ
糠に釘とは、柔らかい糠(ぬか)に釘を打っても手応えがないことから、意見や忠告をしても相手に全く反応がなく、効き目がないことのたとえ。
骨折り損のくたびれ儲け
ほねおりぞんのくたびれもうけ
骨折り損のくたびれ儲けとは、苦労して努力したにもかかわらず、何の結果も得られず、ただ疲れただけであること。
三つ子の魂百まで
みつごのたましいひゃくまで
三つ子の魂百までとは、幼い頃(3歳頃まで)に形成された性格や性質は、年老いても(百歳になっても)変わらないということ。
三人寄れば文殊の知恵
さんにんよればもんじゅのちえ
三人寄れば文殊の知恵とは、凡人でも三人集まって相談すれば、知恵を司る文殊菩薩のような素晴らしい知恵が出るということ。独断よりも協力して考えた方が良い結果が生まれるという教え。
三人寄れば文殊の知恵
さんにんよればもんじゅのちえ
三人寄れば文殊の知恵とは、凡人でも三人集まって相談すれば、文殊菩薩(知恵の神様)のような素晴らしい知恵が出るものだということ。
残り物には福がある
のこりものにはふくがある
残り物には福があるとは、人が取り残した物の中に、思いがけず良い物が残っているということ。我先に取ろうとせず、控えめにするのが良いという教え。
蒔かぬ種は生えぬ
まかぬたねははえぬ
蒔かぬ種は生えぬとは、原因がなければ結果は生じないということ。何もしなければ、良い結果も利益も得られないという教え。
失敗は成功のもと
しっぱいはせいこうのもと
失敗は成功のもととは、失敗してもその原因を反省して改善すれば、成功への手がかりになるということ。失敗を恐れずに挑戦することの大切さを説く。
失敗は成功の母
しっぱいはせいこうのはは
失敗は成功の母(失敗は成功のもと)とは、失敗しても諦めずに、その原因を究明して反省・改善すれば、かえって将来の成功につながるということ。エジソンが電球の発明において「私は失敗したのではない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ」と言ったのは有名な例。失敗を恐れて挑戦しないことこそが最大のリスクであることを説く。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
みのるほどこうべをたれるいなほかな
実るほど頭を垂れる稲穂かなとは、稲が実るにつれて重みで頭を下げるように、人格者ほど謙虚になり、他人に対して低姿勢であるべきだという教え。
釈迦に説法
しゃかにせっぽう
釈迦に説法とは、その道の専門家や自分よりはるかに知識や能力がある人に対して、得意になって教えを説くことの愚かさを例えたことわざ。
出る杭は打たれる
でるくいはうたれる
出る杭は打たれるとは、才能があって頭角を現す人は、他人から妬まれたり憎まれたりしやすいということ。また、出すぎた真似をする者は制裁を受けるという教え。
勝って兜の緒を締めよ
かってかぶとのおをしめよ
勝って兜の緒を締めよとは、戦いに勝っても気を緩めず、さらに心を引き締めよという戒め。成功した時こそ油断してはならないという教え。
笑う門には福来る
わらうかどにはふくきたる
笑う門には福来るとは、いつもニコニコと笑いが絶えない家や人のところには、自然と幸福がやってくるということ。悲観せずに明るく過ごすことの効用を説く。
情けは人の為ならず
なさけはひとのためならず
情けは人の為ならずとは、人に親切にするのは、その人のためになるだけでなく、やがて巡り巡って自分に良い報いとなって返ってくるという意味。「情けをかけるのはその人のためにならない(甘やかすな)」というのは誤用。
親しき仲にも礼儀あり
したしきなかにもれいぎあり
親しき仲にも礼儀ありとは、どんなに親密な間柄であっても、守るべき礼儀や節度があるということ。不遠慮になりすぎると不和の原因になるという戒め。
身から出た錆
みからでたさび
身から出た錆とは、刀の錆が刀身そのものから生じて刀をダメにするように、自分の犯した悪行や過ちが原因で、自分自身が苦しむことになることのたとえ。自業自得。悪い報いを受ける際に使われる言葉であり、良い結果には使われない。
塵も積もれば山となる
ちりもつもればやまとなる
塵も積もれば山となるとは、ごくわずかなものでも、積み重なれば大きなものになるというたとえ。コツコツと努力することの大切さを説く。
石の上にも三年
いしのうえにもさんねん
石の上にも三年とは、冷たい石の上でも三年座り続ければ暖まることから、つらくても辛抱強く続ければ、いつかは報われるという教え。
石橋を叩いて渡る
いしばしをたたいてわたる
石橋を叩いて渡るとは、壊れる心配のない堅固な石の橋でさえ、念のために叩いて安全を確かめてから渡るということ。用心の上にも用心を重ねることのたとえ。
千里の堤も蟻の穴から
せんりのつつみもありのあなから
千里の堤も蟻の穴からとは、広大で堅固な堤防も、わずかな蟻(あり)の穴が原因で崩れてしまうことがある。些細なミスや油断が、大事を引き起こすことのたとえ。
千里の道も一歩から
せんりのみちもいっぽから
千里の道も一歩からとは、どんなに遠大な事業や目標も、手近なことの積み重ねから始まるという意味。
船頭多くして船山に上る
せんどうおおくしてふねやまにのぼる
船頭多くして船山に上るとは、指図する人(リーダー)が多すぎると、意見がまとまらずに船が迷走して山に登ってしまうような、とんでもない方向に進んでしまうことのたとえ。組織における指揮命令系統の統一の重要性を説く。
他山の石
たざんのいし
他山の石とは、他人の誤った言行や劣った行動でも、自分の人格を磨くための参考(反面教師)になるということ。目上の人の行動を指して使うのは失礼にあたるので注意。
他人のふり見て我がふり直せ
たにんのふりみてわがふりなおせ
他人のふり見て我がふり直せとは、他人の行動の良し悪しを見て、自分の振る舞いを反省し、改めるべきだという教え。
帯に短し襷に長し
おびにみじかしたすきにながし
帯に短し襷(たすき)に長しとは、物が中途半端で、何の役にも立たないことのたとえ。
短気は損気
たんきはそんき
短気は損気とは、すぐに腹を立てたり、焦って行動したりすると、結局は自分が損をするということ。「損気」は損をする性質や、損になること。感情に任せて人間関係を壊したり、冷静な判断ができずに失敗したりすることを戒める言葉。
暖簾に腕押し
のれんにうでおし
暖簾に腕押しとは、垂れ下がっている暖簾を腕で押しても手応えがないことから、力を入れて働きかけても相手からの反応がなく、張り合いがないことのたとえ。
忠言耳に逆らう
ちゅうげんみみにさからう
忠言耳に逆らうとは、誠実な忠告や諌言(かんげん)は、相手の欠点や過ちを指摘するものなので、聞く側にとっては不愉快で素直に聞き入れにくいものだということ。「良薬は口に苦し」と対で使われることが多い(「良薬は口に苦くして病に利あり、忠言耳に逆らいて行いに利あり」)。批判的な意見こそ、自分の成長のために重要であることを戒めている。
鉄は熱いうちに打て
てつはあついうちにうて
鉄は熱いうちに打てとは、人は柔軟な若いうちに鍛えるべきだという意味。また、物事は時期を逃さず、関心や熱意が高まっているうちに行うべきだという意味。
渡る世間は鬼ばかり
わたるせけんはオニばかり
渡る世間は鬼ばかりとは、世の中は無慈悲で冷たい人間ばかりで、信用できる人がいないということ。
灯台下暗し
とうだいもとくらし
灯台下暗しとは、灯台(昔の室内照明器具)の直下は影になって暗いことから、身近な事情や近くにあるものは、案外気づきにくいということのたとえ。探索物がすぐそばにあった場合や、自分のことを自分が一番わかっていない場合などに使う。
豆腐に鎹
とうふにかすがい
豆腐に鎹とは、柔らかい豆腐に鎹(木材をつなぐ釘のような金具)を打ち込んでも効かないことから、意見を言っても手応えがなく、全く効き目がないことのたとえ。
二兎を追う者は一兎をも得ず
にとをおうものはいっとをもえず
二兎を追う者は一兎をも得ずとは、同時に二つの異なる目標を達成しようと欲張ると、結局はどちらも中途半端に終わり、一つも達成できないという戒め。
二兎を追う者は一兎をも得ず
にとをおうものはいっとをもえず
二兎を追う者は一兎をも得ずとは、二つのものを同時に手に入れようと欲張ると、結局どちらも手に入らなくなるという戒め。一つのことに集中すべきだという教え。
馬の耳に念仏
うまのみみにねんぶつ
馬の耳に念仏とは、馬にありがたい念仏を聞かせても意味が通じないように、いくら意見や忠告をしても、相手が聞く耳を持たず(理解せず)、全く効き目がないこと。
飛んで火に入る夏の虫
とんでひにいるなつのむし
飛んで火に入る夏の虫とは、自分から進んで危険や災難に飛び込んでいくこと、あるいは自ら破滅の原因を作りにいくことのたとえ。夏の夜、虫が明るい火に引き寄せられて焼け死ぬ様子から来ている。予期せず罠にかかるのではなく、無謀にも自ら飛び込む愚かさを強調する言葉。
必要は発明の母
ひつようははつめいのはは
「必要は発明の母」とは、何かがなくて困ったり、不便を感じたりすることが、新しい発明や工夫を生み出すきっかけになるという教え。
負けるが勝ち
まけるがかち
負けるが勝ちとは、無理に争わず、あえて相手に勝利を譲ることで、結果的には自分の利益や本当の勝利につながるということ。長期的な視点での勝利を説く。
風が吹けば桶屋が儲かる
かぜがふけばおけやがもうかる
風が吹けば桶屋が儲かるとは、一見すると全く関係のない事柄が、意外な因果関係によって巡り巡って影響を及ぼすことのたとえ。風が吹く→砂埃が舞う→盲人が増える→三味線が売れる→猫が減る→ネズミが増える→桶がかじられる→桶屋が儲かる、という長い理屈から来ている。現代では、論理の飛躍やこじつけの意味で使われることも多い。
仏の顔も三度まで
ほとけのかおもさんどまで
仏の顔も三度までとは、どんなに温厚で慈悲深い人でも、何度も無礼なことをされれば腹を立てるということ。甘えすぎるなという警告の意味で使われる。
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥
きくはいっときのはじきかぬはいっしょうのはじ
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥とは、知らないことを人に聞くのはその時だけ恥ずかしい思いをするが、聞かずに知らないままで過ごすことは、一生恥ずかしい思いをし続けることになるという教え。
壁に耳あり障子に目あり
かべにみみありしょうじにめあり
壁に耳あり障子に目ありとは、隠し事はとかく漏れやすいものだから、どこで誰が見聞きしているかわからないので、言葉や行いは慎むべきだという教え。
無くて七癖
なくてななくせ
無くて七癖とは、癖がないように見える人でも、探せば7つくらいは何かしらの癖を持っているものだということ。
薮蛇 (薮をつついて蛇を出す)
やぶへび
薮蛇(薮をつついて蛇を出す)とは、余計なことをして、かえって悪い結果や災難を招いてしまうことのたとえ。不必要な行動への戒め。
立つ鳥後を濁さず
たつとりあとをにごさず
立つ鳥後を濁さずとは、水鳥が飛び立った後の水辺がきれいであるように、立ち去る者は見苦しくないようきれいに後始末をすべきだという教え。退職や引越しの際によく使われる。
論語読みの論語知らず
ろんごよみのろんごしらず
論語読みの論語知らずとは、書物を読んで知識は持っているが、それを実行に移せず、本質を理解していないことのたとえ。行動が伴わない知識人への批判。
和をもって貴しとなす
わをもってとうとしとなす
和をもって貴しとなすとは、聖徳太子が定めた「十七条憲法」の第一条に出てくる言葉で、人々が調和し、争いを起こさないことが何よりも尊いことであるという教え。単に仲良くするだけでなく、しっかりと議論を尽くして納得の上で強力することも含意しているとされる。日本的な集団主義やチームワークの精神的支柱となっている言葉。